シビルベテランズ&ボランティアズサイトの大正橋(たいしょうばし)の説明によると、橋の設計者である日種俊哉氏は、「八百八橋 浪速の春」の中で
「・・選曲については、大阪民謡、わらべ歌、流行歌など大阪にゆかりのある曲などいろいろ探してみたが、移調してでも五線の内に収まるものとなるとなかなか適当なものが見つからない。そこで条件を満たしている作品として、“歓喜の歌”の登場となった。・・・」と述べているとのこと。
大正区サイト(ドイツまで届け!声高らかに響いた大正区民の第九 大正区第九合唱団デビュー公演を開催しました)によると、旋律のデザインの提案者は日種俊哉氏の妻、日種貞子さん。(2012年11月23日 該当ページ確認できず)
大阪市都市建設技術協会HP「大阪の橋」の項目の「大正橋・余禄」には、「それは“誰もが知っている曲”ということで、ベートーベンの「第九交響曲」の「歓喜の歌」の一説が選ばれている。」との記述あり。
回答プロセス:1.『大阪の橋』(松村 博/著 松籟社,1987)p.140~143に記述はあるが、デザインの由来やデザインした人物などの記述はなし。
巻末p17より昭和44年完成、管理者は大阪市であることがわかる。
2.インターネットGoogleで「大正橋」と「第九」で検索。
・大阪市大正区HP
欄干を五線譜に見立てて、ベートーベン作曲の第九が、歩道にはメトロノームの堰堤、路面にはピアノの鍵盤が
デザインされていることについての記述があるが、理由については触れていない。
・教育振興公社のHPの「Vivo la vita 教育大阪」の目次が見つかったので、当館所蔵の該当号を確認。
『教育大阪Vivo la vita』2003年12月号(p.1)に、大正橋について橋爪節也氏の文章があり、
「デザインした人物などはわからないが・・・」と記載されている。
また、大阪市建設局が管理者であることがわかる。
・財団法人大阪都市建設技術協会HP
「誰でも知っている曲」ということで選ばれたことについての記述が見つかる。
(2009.1.15には、「大阪の橋」ページ確認できず。2011年6月同協会解散。)
・シビルベテランズ&ボランティアズサイトの大正橋(たいしょうばし)の紹介を見つける。
設計者のお名前から検索しなおし、 大正区からのおしらせページを見つける。
3.日種俊哉氏について調査。
・日種俊哉氏の「八百八橋 浪速の春」は、当館所蔵なし。
大阪府立図書館・国立国会図書館・NACSISI・giniiでも発見できず。
土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/index.html)目録で日種俊哉氏の著作を検索。
橋梁と基礎 VOL.21 NO.8 PAGE.16‐22 1987 日種俊哉,松村博 (大阪市 土木局) 浪華八百八橋 が見つかるが
当館未所蔵のため、内容を確認できず。
・大阪市都市工学情報2次情報集(http://www.2ji.osakacity.or.jp/)で検索
当館所蔵の下記日種俊哉氏の論文を調査するが、関連記事なし。
「橋梁のデザイン その造形的側面」 井上洋里、日種俊哉 土木局業務論文報告集 1980 PAGE.690‐693
参考資料:シビルベテランズ&ボランティアズサイト
大正橋(たいしょうばし)http://cvv.jp/CVV2/kengakukai/syowayama/image/(03)/(03).html (2012.11.22確認),
参考資料:大正区サイト(ドイツまで届け!声高らかに響いた大正区民の第九 大正区第九合唱団デビュー公演を開催しました),
参考資料:財団法人大阪都市建設技術協会HP,
照会先:大阪市建設局
備考:大正区のサイトによると、「大正区の区名は区の北端にある「大正橋」にちなんでいます。」http://www.city.osaka.lg.jp/taisho/page/0000000440.html (2012.11.23確認)
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