大正時代の女子陸上競技界の先駆者。 御津郡福浜村(現岡山市福成)生まれ。 県立岡山高等女学校在学中、走り幅跳びで女子日本最高記録を出した。 大阪毎日新聞社運動部記者として活躍する一方、スウェーデンで行われた世界女子オリンピックでは、走り幅跳びで世界新で優勝した。 4年後チェコで行われた同大会でも、走り幅跳びで2連勝している。 アムステルダムで行われたオリンピックでは、日本の女子選手として初めて出場し、800メートルで銀メダルに輝いた。 岡山県総合グラウンドの一角に銅像が建てられている。 ※真金倶楽部に関連記事があります。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「スパイクの跡」(平凡社、昭4) 「炎のスプリンター」(織田幹雄・戸田純編著、山陽新聞社、昭58) 「燃え尽きたランナー 人見絹枝の生涯」(小原敏彦、大和書房、昭55) 「操山高校七十年史」(同校編・刊、昭44) 「人見絹枝の生涯-超人的記録とともに」(真田芳夫、高梁川39号、昭57) 「わが人見絹枝伝抄」(戸田純著、詩の家、昭52)
参考資料:「スパイクの跡」(平凡社,昭和4年)
織田幹雄・戸田純編著「炎のスプリンター」(山陽新聞社,昭和58年)
小原敏彦「燃え尽きたランナー 人見絹枝の生涯」(大和書房,昭和55年)
操山高校編・刊「操山高校七十年史」(昭和44年)
真田芳夫「人見絹枝の生涯-超人的記録とともに」(高梁川39号,昭和57年)
戸田純著「わが人見絹枝伝抄」(詩の家,昭和52年),
備考:M2004103011040843305
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