言い回しは若干異なるものの、該当の内容の文章が掲載されている以下の資料を紹介した。
1と2の掲載図書
『私の履歴書 12』(日本経済新聞社編 日本経済新聞社 1969)
p123-124 1の掲載あり。
p125-126 2の掲載あり。
次の資料にも同じ記事掲載あり。
『私の履歴書 昭和の経営者群像 3 松下幸之助・山本為三郎・永田雅一・奥村綱雄・岩切章太郎』(日本経済新聞社編 日本経済新聞社 1992)
上記と同内容。
3の掲載図書
「わが戦後財界秘史 1 身命、果てるとも」(佐藤正忠著 経済界 1991)(鷲宮図、東松山図所蔵)
p147に、奥村の言葉として掲載あり。
回答プロセス:1と2は『私の履歴書』を確認したところ、掲載があった。
3について
『野村王国を築いた男 奥村綱雄のトコトン人生』(小島直記著 実業之日本社 1982)
p199-200 作家山崎豊子が奥村綱雄に言った言葉として「「奥村さんが、四十五歳で社長になられたときのエピソードを知っていますよ、颯爽と松永安左エ門さんのところへ社長就任の挨拶に行かれたら、人間は三つの節を通らねば一人前ではない。その一つは浪人、その一つは闘病、その一つは投獄だ。君はそのどの一つも経験していないといわれ、さすがの奥村さんも、肩をつぼめられたそうですね。」」とあり、その返答として「「たしかに私は、浪人生活も、闘病生活も、投獄生活も経験していない。だが、私は社長在任十一年間、社長室にすわっているときは、日々之牢獄の思いで過ごしてきた」」とあり。
『わが半生涯』(奥村綱雄著 1971)
まえがきに、「私はかつて、松永左エ門翁に叱られたことがある。「男一匹一人前になるには一度浪人生活をするか、誤って投獄されるか、死に直面する重要にかかるか、いずれかの過程を経たものでなくちゃならぬ」と言い、翁はさらに「お前はこのカテゴリーのどこにもはまらぬ。まだまだ半人前の人間と思え」と、叱り飛ばされたことがある。」とあり。
《Google》を〈奥村綱雄 & 松永安左エ門〉で検索
《偉人のエピソード逸話集》に「佐藤は暗澹たる気持ちで野村證券本社に以前から付き合いのあった奥村綱雄(おくむらつなお)元社長を訪ねた。(中略)「人間が一人前になるには、大病をするか、刑務所に入るか、放蕩をするか、いずれかの苦労をしなければいけない」と言っていたという。(略)このエピソードは佐藤正忠本人の著書「わが戦後財界秘史①身命、果てるとも」(経済界)の中に書かれているのだが」と記述あり。
参考文献に、以下の3冊あり。
小島直記 「逆境を愛する男たち」(以下参照)
小島直記 「野村王国を築いた男」(調査済)
佐藤正忠 「わが戦後財界秘史 1 身命、果てるとも」(回答資料)
上記の参考文献を調査
『逆境を愛する男たち』(小島直記著 新潮社 1984)
p64-70「獄中の人間学」の節あり。
奥村が社長就任時に、松永に挨拶に行ったときのエピソード。
松永安左エ門の話が中心。
事前調査事項:質問の3つの文書が記載されているのは、次のウェブサイトである。
「名言DB:仕事で使える格言集」
参考資料:『私の履歴書 12』(日本経済新聞社編 日本経済新聞社 1969),
参考資料:『私の履歴書 昭和の経営者群像 3 松下幸之助・山本為三郎・永田雅一・奥村綱雄・岩切章太郎』(日本経済新聞社編 日本経済新聞社 1992),
参考資料:「わが戦後財界秘史 1 身命、果てるとも」(佐藤正忠著 経済界 1991),
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