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岸和田出身の建築家久野節の事を調べています。明治、大正期に千葉県佐倉市に住んでいたのではないかと推測しています。久野節は幕末和泉国岸和田藩次席家老・久野三郎兵衛の遠戚筋と聞いていますが、子孫、生まれた場所、書かれた図書、親族など手がかりなど調査してください(千葉県立中央図書館)

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当館の資料では、久野節については建築に関する事項しか確認できませんでした。1.『千葉の建築探訪』p60に県立佐倉高等学校記念館に関する記載がありました。 2.『校史 千葉県立佐倉高等学校』後篇の明治6-35年p60の「銅版刻銘」内容には「建築技師 従七位 久野節」とあります。 その他、新校舎に関する記載はありますが設計者についての記載はありません。 3. 明治45年築の旧千葉県庁にも久野節が係っています。『都道府県庁舎その建築史的考察』p306には旧千葉県庁は「内務省技師から大蔵省建築部に移った矢橋賢吉と新進の久野節の協同設計」とあります。 4.『honderdjaarig=百年ヲ経タル佐倉高校記念館(旧校舎)落成100周年記念誌』のp18-21に「設計者・久野節を訪ねて」という文章が掲載されています。主に『鉄道ファン』2007年5月号に掲載の「下町のターミナルデパート 東部鉄道浅草駅」の引用です。久野節の千葉県時代についての記述は少ないのですが、「日本鉄道建築教会の会員向け雑誌『鉄道建築ニュース』の152号(1962年8月号)に久野節の訃報記事が掲載され、息子の宗彦氏が追悼文を書いている」などの情報が掲載されています。この宗彦氏の近況については、調査しても分からなかったことなど記述されています。 『honderdjaarig=百年ヲ経タル 佐倉高校記念館(旧校舎)落成100周年記念誌』は当館で所蔵しています。 回答プロセス:◆記述を見つけることができなかった資料・『佐倉市史 巻3』(佐倉市史編さん委員会編佐倉市 1979)県立佐倉中学校(県立佐倉高校の前身)の新校舎建設について記載されているが、設計者については書かれていない。 ・明治大正期に在住しているということなので『房総紳士録』(多田屋書店1912)、また『房総紳士録』(多田屋書店 1915)を調査したが、見つけることはできなかった。 参考資料:1.『千葉の建築探訪』(中村哲夫 崙書房出版 2004)|0200797764;, 参考資料:2.『校史 千葉県立佐倉高等学校』(篠丸頼彦編 千葉県立佐倉高等学校県立移管百周年記念事業実行委員会 2000 昭和36年の復刻)|9200083981;, 参考資料:3.『都道府県庁舎 その建築史的考察』(石田潤一郎 思文閣出版 1993)|9103192664;, 参考資料:4.『honderdjaarig=百年ヲ経タル 佐倉高校記念館(旧校舎)落成100周年記念誌』(鹿山会2010)|0200925846;,

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