『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「いしかわ・たかし」で、略歴は「1937・1・24~。俳人。滋賀郡堅田町(現大津市本堅田)生まれ。大津市本堅田在住。本名孝(たかし)。1955年(昭和30)県立大津東(現膳所)高等学校卒業。60年京都大学農学部農業工学科卒業。63年父の経営する駒音建設株式会社専務取締役、81年代表取締役社長に就任、98年退任。79年より堅田在住の堺井浮堂に師事して句作を始める。その後、粟津松彩子(しょうさいし)、吉年虹二(よどしこうじ)、稲畑汀子(ていこ)に師事。「ホトトギス」同人。汀子主宰「ホトトギス」、虹二主宰「未央(びおう)」に属して活動。90年日本伝統俳句協会第1回全国俳句大会において、(中略)大会賞文部大臣奨励受賞。(中略)関西ホトトギス同人会幹事、県ホトトギス会副会長、日本伝統俳句協会参事。(中略)句集『露の技折戸』(文学の森社、2004年11月)。(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.27,
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