『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「なかい・ふさじょ」で、略歴は「1915・10・20~1989・9・13。俳人。滋賀郡堅田町(現大津市本堅田)生まれ。本名冨佐(ふさ)。旧姓竹端。1928年滋賀郡堅田町堅田尋常高等小学校尋常科修了。33年県立大津高等女学校卒業。35年中井幹太郎(みきたろう)(俳号余花朗)と結婚。47年より高浜虚子および一門の指導をうけて、「ホトトギス」「玉藻」に拠り句作を始める。「ホトトギス」同人。89年秋、夜の句会の帰り、不測の乗用車事故で長男句鳰(くにお)と同時に死亡。序文に高浜虚子の文章を再掲した句集『湖畔抄』(84年4月、東京美術)がある、みずうみにかかわる句ばかりを編年式にまとめている。作品は、自宅前に広がる琵琶湖の四季のさまざまな姿をこまやかな愛着心と素直な一体感とで詠んだものが多い。(後略)。(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.233-234,
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