『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ほそかわ・ゆうたろう」で、略歴は「1914・11・27~1999・2・21。童謡作詞家。蒲生郡日野町生まれる。筆名は細川裕太郎、青山純など。高等小学校卒業。1939年「童謡と唱歌」に投稿した「泣く子はたあれ」を海沼実が作曲し、翌40年の秋、キングレコードに持ち込んだ。キングレコードのディレクターであった柳井尭夫がタイトルを「あの子はたあれ」に改め、歌詞も大幅に改訂。「あの子はたあれ/たれでしょね/なんなんなつめの/花の下/お人形さんと/あそんでる/可愛い美代ちゃんじゃないでしょか」というこの曲を、酒井ゆきえが歌ってヒットした。同39年「ちんから峠」にも海沼実が曲をつけ、42年にテイチクから戸板茂子の歌で発売された。この曲のタイトルは最初「ちりから峠」であったが、作曲した海沼実が言葉にリズムを持たせようと「ちんから」と改題し、4番まであった歌詞を、長すぎるとして3番までにした。その結果、「ちんからほい/ちんからほい/ちんから峠の/お馬はほい」という有名なフレーズが出来上がった。戦後48年に、川田正子が歌った「ちんから峠」がコロムビヤレコードから発売され、これが大流行。この時、作曲者の海沼実がコロムビヤレコードと専属契約をしたため、長い間コロンビヤが録音権を独占し、他社は発売することが出来なかった。88年にやっと解放され、「ちんから峠」を他社で録音することが可能になった。これら童謡の他にも、「そよ風かおる城山の/みどりの息吹すこやかに」で始まる県立水口東高等学校の校歌など、校歌の作詞も手がける。64年12月11日制定の南比都佐小学校の校歌は、瀬川美代の作詞を細川雄太郎が補作している。晩年は故郷の日野町で年金生活を送るかたわら、詩謡誌「葉もれ陽」を主宰し、後輩の育成にも努めた。99年急性循環器不全で死去。享年89歳。「あの子はたあれ」の歌碑が、蒲生郡日野町木津国道307号グリーンバイパス沿いと、群馬県藪塚温泉のなつめ公園にある。(荒井真理亜)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.323,
参考資料:
2 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ,
参考資料:
3 滋賀県人名鑑 滋賀県人名鑑編集部∥編 サンブライト出版 1982年 S-2800- 82,
参考資料:
4 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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