『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ほり・ちえ」で、略歴は「1899・月日未詳~。俳人。栗太郡葉山村(現栗東市)に生まれる。女学校卒業後、医家に嫁し、以後大津市に在住。1947、8年頃大津市で発行されていた「花藻」に初投句、掲載される。その後54年6月発行の『花藻 第一句集』に「明治めく」と題して18句入集、58年7月発行の『花藻 第二句集』には「柚子匂ふ」と題して20句が入集。また、朝日俳壇(選者加藤楸邨)や婦人雑誌(選者中村汀女)にも投句、掲載される。55年頃、梅原黄鶴子、藤沢石山の推薦で「馬酔木」に入会。殊に、梅原より馬酔木俳句を教授される。80年6月、句集『をだまき』(洛樹出版社)を刊行。(荒瀬康成)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.324-325,
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