『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「しれん・まさぞう」で、略歴は「1914・7・14~。歌人。犬上郡大滝村(現多賀町川相(かわない))生まれ。1934年滋賀師範学校卒業。同年高島郡大溝小学校勤務。以後百瀬(ももせ)、高島の小学校をへて、45年3月応召により中国戦線へ。46年4月帰還、今津町今津在住。その後郡内各地の小学校勤務ののち、今津北小学校校長、安曇川中学校校長を歴任。49年前田夕暮主宰「詩歌」に入会、夕暮没後の翌52年から「好日」の米田雄郎晩年の弟子として指導をうけ、同人となる。その後「湖北短歌友の会」を結成、その中心として長浜市、東浅井(あざい)・伊香(いか)・高島・滋賀各郡における短歌の普及振興に精力を傾けた。元滋賀県歌人協会幹事。73年から「今津文学」(今津町文化協会)発行にたずさわる。今までの作歌数約5000。歌集『湖北』(69年4月、好日社)、『湖心』(89年7月、好日社)がある。(後略)(山本洋)」とあります。なお、今津町今津は現在高島市今津町今津になっています。また、文中の「滋賀師範学校」は「滋賀県師範学校」の誤植です。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.171,
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