『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「やまかわ・のぶ」で、略歴は「1908・3・19~。俳人。大津市逢坂生まれ。本名信治郎。1927年3月山口銀行(33年の合併で三和銀行となる。現三菱東京UFJ銀行)に勤務。34年社内俳誌「三和」が創刊され応募。創刊時は日野草城選、35年からは阿波野青畝選。36年中山碧城が「志賀」創刊、翌年の休刊まで手伝う。37年10月「ホトトギス」に初めて出句し、1句入選する。43年9月「ホトトギス」に3句入選するが、戦局の悪化に伴い翌年春に句作を断念。51年3月出句を再開する。57年「志賀」を復刊し、71年まで発行所を引き受ける。以来、月心寺で毎月句会を開く。63年銀行を定年退職し、西陣織物問屋西本商店に入社。73年1月「ホトトギス」同人に推挙される。74年10月「志賀」休刊、重陽会を設立。78年に西本商店を退社。高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子と、三代にわたり師事した。俳誌「志賀」発行所として後輩の指導などに尽力し、「志賀」廃刊後も「ホトトギス」同人として句作を続けた。(後略)(北川秋雄)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.365-366,
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