『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「ふじい・つるこ」で、略歴は「1922・9・28~。俳人。大津市蛭子(えびす)町(現中央)生まれ。旧姓弓削(ゆげ)。祖父は幕末、京都にあって勤皇の志士として活動した弓削正継で、1874年滋賀郡堅田町(現大津市本堅田)に移住。作詞家奥野椰子夫の実妹。父病没のため、1932年兵庫県相生市の長兄宅に母とともに同居。44年播磨造船所に文書係として勤務。46年婚約者戦死の公報がくる。53年より俳誌「天狼」に入会、山口誓子の教えをうけ、三鬼、青塔、多佳子、狩行らの同人と身近に接す。65年大津市中央の藤井陶器店に嫁す。71年夫病没。75年より兄椰子夫のすすめで田辺正人主宰「旅と俳句」誌に寄稿し始める。92年福岡県筑紫野市の娘夫婦と同居。句文集『母の湖』(91年11月、私家版)がある。(後略)(山本洋)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.308,
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