『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「よねだ・のぼる」で、略歴は「1919・6・29~1993・3・20。歌人。蒲生町(現東近江市)石塔生まれ。米田雄郎の二男。桜川尋常高等小学校に学び、1934年八日市中学校在学中に白日社に参加。「詩歌」に自由律短歌を発表。41年東京帝国大学法学部を卒業後、翌42年陸軍入隊、同年定型短歌を創作。戦時中は中国を転戦。戦後は東京大学大学院に学び、のち日瑞貿易に入社。53年香川進主宰「地中海」同人。翌年関西歌人会に参加。59年には父の死去により「好日」を主宰する。多作で社会詠が本領だが、故郷は叙情的に表現した。歌集に『思惟還流』(65年11月、好日社)、『現象透過率』(87年1月、短歌新聞社)のほか、<近江路はすでに雪積み真白しと聞きつつ恋ほし少年の日の雪>や「花折峠」連作等を収める『時空界面』(89年1月、短歌新聞社)、「野口謙蔵特別展」「箱館山」「海津の桜」連作等を含む遺歌集『回帰曲線』(94年2月、短歌新聞社)がある。2001年11月に歌碑<故里を出でていくとせなるわれぞ花霞のなかの産土の宮>が母校の東近江市立蒲生東小学校に建った。(外村彰)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.395,
参考資料:
2 詩歌人名事典 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2002年 R-9110-ニ,
参考資料:
3 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ,
参考資料:
4 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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