『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「にしざわ・じゅうしちせい」で、略歴は「1901・3・17~1984・7・5。俳人。八日市市(現東近江市)生まれ。本名捨蔵。滋賀師範学校を経て、1924年大日本武徳会武道専門学校卒業。教職に就き、東洋レーヨンに勤める。「ホトトギス」に投句、のち鈴鹿野風呂に師事し「京鹿子」同人。大津での生活と自然を題材にした句が多い。59年には瀬田唐橋中之島に句碑<瀬田蜆藤咲きしかばうまからむ>を建立した。歿後、妻登世子との合同句集『瀬田蜆』(86年7月)を私家版で刊行。(外村彰)」とあります。なお、文中の「滋賀師範学校」は「滋賀県師範学校」の誤植です。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.260,
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