Quantcast
Channel: レファレンス協同データベース
Viewing all articles
Browse latest Browse all 148737

戸田村の豪農であった山田弾六について知りたい(名古屋市鶴舞中央図書館)

$
0
0
当館の資料から、下記のことが分かりました。 ・山田弾六は先祖代々名乗られてきており、戸田村一の組に住んでいた千石ほどの富豪であること。 ・山藤新田、元美新田の開拓者であり、宝来新田の開発者との説もあります。 ・文化十二亥年以降、藩主在国の折は村の名産品である蕪を献上することにしたことが分かりました。 ・天保二年の神宮寺新田・山藤新田・元美新田の検地の際には案内役を務めました。 ・安政の頃には扇子を献上していました。 回答プロセス:(1)『新修名古屋市史 第10巻 年表・索引』を「戸田村」で引いたところ、『新修名古屋市史 第3巻』のp.548に戸田村の山田弾六の家は1000石も所蔵する富豪であり、村の名産品の蕪を藩主に献上していたことが分かりました。 (2)『名古屋叢書 別巻2 索引・総目録』を引いたところ、『名古屋叢書 第12巻』のp.44に山田弾六とあるのが分かりました。 そこで、『名古屋叢書 第12巻』に収められている「関戸文書一」を確認しました。p.43より手控えとして、"当冬は、戸田村弾六方も隠居相果候後"という記述が見つかりました。また、p.43-44には"戸田村 山田弾六"の"口上覚"が記録されていました。 『名古屋叢書続編 21 索引・総目録』を引いたところ、『名古屋叢書続編 7』p.46から戸田村について書かれていることがわかりました。 『名古屋叢書続編 7』には「尾張徇行記」が収められています。戸田村についてはp.46-55に記述があり、p.53に"一ノ組山田弾六ハ当所ニテノ冨戸ニテ、高モ千石ホトモ所持ストナリ"とあります。 (3)『尾張藩在郷名家録』には、p.317-363に安政の御目見の記録として「百姓名前帳」が収録されています。確認したところ、p.345に"戸田村 山田弾六 大"とあり、扇子を献上したことが分かりました。 (4)『角川日本地名大辞典 23』のp.889「近世戸田村」の項目には、山田弾六は一の組に住む富豪として紹介されています。また、p.1334「元美新田」、p.1380「山藤新田」の項目が、山田弾六の開発した新田として挙げられています。p.1203「宝来新田」は、山田弾六が開発した説もあるという形で紹介されています。各項目の参考文献として、『徇行記』、『岡田家文書』、『名古屋市港区誌』、『港区のおいたち聞き書』が挙げられていました。 (5)『港区のおいたち聞き書 第8回』のp.1、p.2-7、p.15-20に、山藤新田と元美新田について記述があり、山田弾六の名前を確認することができます。また、山田弾六家の当時の当主への聞き書きにおいて代々山田弾六を名乗ってきたことや、岡田家文書による山田弾六の検地持分などが記載されていました。 また、同書のp.47-57に「岡田家文書」が翻刻されています。天保二年の神宮寺新田・山藤新田・元美新田の検地帳に"案内 庄屋"として、山田弾六の名前を確認することができます。 『港区のおいたち聞き書 第3回』のp.37-39に「山田弾六文書」を確認しましたが、、『名古屋叢書 第12巻』に収められている「関戸文書一」を書き下したものが掲載されていました。 (6)『名古屋市港区誌』のp.16-19に新田開発年表があり、山藤新田・元美新田・宝来新田の項目に山田弾六の名を確認することができます。この年表には、新田名・開発年・開発者・開発面積や沿革などが記載されています。 (7)『港区の歴史』のp.72-73に山藤新田・元美新田、p.75-77に宝来新田についての記述があり、山田弾六の名前が出てきます。 (8)『角川日本姓氏歴史人物大辞典 23』のp.141に、山藤新田と元美新田の開拓者として名が上げられていました。 (9)『中川区の昔をたずねて 第2巻』のp.15-18に「戸田の山田様」とあり、山田弾六家についての記述がありました。山田家の古実や、家の写真が掲載されています。また、蔓菁についての記述があり、「尾張徇行記」が出典でした。 (10)『名古屋叢書続編 7』を再度確認すると、p.53とp.55に戸田蔓菁の献上についての記述があり、"此村蔓菁文化十二亥年村長山田弾六願ヨツテ毎年献上ス"とありました。 (11)『中川区の歴史』を見ました。「戸田村」については、p.175-190に記述があり、山田弾六はp.178,179に記載があります。『徇行記』からの抜粋と、戸田蔓菁献上についての経緯が記述されていました。 (12)インターネットでgoogleブック検索をすると、『尾張群書系図部集 上』のp.271がヒットしました。所蔵資料で確認すると、龍現山盛泉寺(常滑市久米)住職である梶原氏の得明の母として、「尾州海東郡戸田村山田弾六女」が掲載されていました。 さらに、インターネットで「山田弾六」をキーワードに検索すると、「株式会社魚津社寺工務店」の「文化財調査経歴」(http://www.uotushaji.co.jp/tyousa.html [last access 2013/03/01])がヒットしました。平成17年に中川区の旧山田弾六邸調査を行っていることがわかりましたが、調査報告書を見つけることはできませんでした。 (13)『愛知県海東郡志』を確認しました。p.54に戸田村の記述はありますが、山田弾六についての記載はありませんでした。 参考資料:『新修名古屋市史 第3巻』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 1999年 p.548, 参考資料:『名古屋叢書 第12巻』 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1983年, (「関戸文書一」p.43-44) 参考資料:『名古屋叢書続編 7』 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1984年, (「尾張徇行記」の「戸田村」p.46-55の内、p.53、p.55) 参考資料:『尾張藩在郷名家録 増補版』 ブックショップマイタウン 2007年, (百姓名前帳」p.345) 参考資料:『角川日本地名大辞典 23』 角川書店 1989年, (近世戸田村p.889、宝来新田p.1203、元美新田p.1334、山藤新田p.1380) 参考資料:『角川日本姓氏歴史人物大辞典23』 角川書店 1991年 p.141, 参考資料:『港区のおいたち聞き書 第8回』 名古屋市港区役所/編 名古屋市港区役所 1964年, (p.1、p.2-7、p.15-20、「岡田家文書」p.47-57) 参考資料:『港区のおいたち聞き書 第3回』 名古屋市港区役所/編 名古屋市港区役所 1964年 p.37-39, 参考資料:『名古屋市港区誌』 港区制施行五十周年記念事業実行委員会/編 港区制施行五十周年記念事業実行委員会 1987年 p.16-19, 参考資料:『港区の歴史』 山田寂雀/著 愛知県郷土資料刊行会 2009年 p.72-73、p.75-77, 参考資料:『中川区の昔をたずねて 第2巻』 名古屋市中川区老人クラブ連合会/編 名古屋市中川区社会福祉事務所福祉係 1983年 p.15-18, 参考資料:『中川区の歴史』 山田寂雀/著 愛知県郷土資料刊行会 1982年, (「戸田村」p.175-190の内、p.178,179) 参考資料:『尾張群書系図部集 上』 加藤国光/編 続群書類従完成会 1997年 p.271, 参考資料:『愛知県海東郡志』 海東郡教育会/著 [文昌堂] 1898,

Viewing all articles
Browse latest Browse all 148737

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>