(1)千葉県について
節分については大豆を撒くとの記述はありましたが、落花生を撒くとの記述はありませんでした。
『千葉県の歴史 別編 民俗1』(千葉県 1999)の中のP224~229「鬼やらい」という項には、「県内の節分行事は、大豆を炒って一升枡に入れ」、豆撒きして歩くとあります。
また『房総の民俗 昭和38年度千葉県民俗総合調査報告』(千葉県教育委員会1964)p125~169「年中行事」の九十九里町西野の豆撒きの項にも大豆と記述されており、千葉県では一般的に大豆が撒かれていたと思われます。
ただし、知事定例記者会見によると、千葉県では平成22年から「落花生での豆まきイベント」を県内各地で行って落花生のPRにつとめており、県内の生産者が落花生の節分セットを売り出す等の動きもあります。
また成田山新勝寺の平成25年の節分会では、大豆が3回で860kg、殻付落花生が3回で400kg撒かれるそうです。(社団法人成田市観光協会http://www.nrtk.jp/news/setsubune/)
『成田市史 民俗編』(成田市 1982)のp341の節分の項には、「豆撒きに使った大豆」と書かれているため、節分に落花生を撒くのは近年になって始まったものだと思われます。
○「落花生での豆まき」イベント
知事定例記者会見(平成22年2月4日)概要
(http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/chijishitsu/teirei/h21/h22-0204.html)
知事定例記者会見(平成23年1月20日)概要
(http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/chijishitsu/teirei/h22/230120.html#a03)
知事定例記者会見(平成24年1月26日)概要
(http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/chijishitsu/teirei/h23/240126.html)
(2)全国について
池田貴夫「大豆から落花生へ--節分豆の変化をめぐる一考察」(『北海道開拓記念館研究紀要 第29号』2001年 p109-134)という論文に、聞き取り調査やアンケート調査をした結果を基にした学術的考察が書かれています。
これによると、節分豆の地域性については、北海道および東北地方、新潟県内は落花生が優勢、長野県内においては、大豆の家庭と落花生の家庭が混在、関東地方においては、特に茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県といった北関東地方を中心に大豆が優勢、東海地方以西においては大豆が優勢と考えられるとのことです。
また、北海道など節分豆として落花生の占める比重が高い地域でも以前は大豆を撒いていたが、大豆から落花生に変化していったこと、この変化は全国一律ではなく、地域差と時間差があることが書かれています。
時期について、「北海道においては、昭和20年代頃より落花生を撒く家庭が現れ始め、昭和30年代から40年代にかけてそれが急増し、その変化の流れは」「現在においても拡がっていると考えられる。」と記載されています。
節分豆が大豆から落花生に変化した理由としては「1つには、さやつきの落花生ならば、撒いた後拾って食する際に、さやをむいて食べれば清潔であるという衛生面、2つには、大豆に比べ固くないから食べ易く、また美味であるという食感・味覚面、3つには、むきみの大豆に比べて大きいため、拾い易くまた片付け易いという利便性をあげることができる。」と書かれています。
なお、全国落花生協会のサイト内「落花生Q&A」に
「豆まきに落花生が使われたのはいつ頃からですか。」(http://www.jpf.or.jp/oyakudachi/faq.html#sonohoka01)
があり、こちらにも
「落花生をいつ頃から使い始めたかは明らかではありません。民間の調査によれば落花生を使う割合が高いのは北海道、東北、新潟、長野などとなっており、北海道では国内での生産が拡大した昭和30~40年代に大豆から落花生に替わってきたとも言われます。」
等の記載があります。
(インターネットの最終アクセス:2013年1月30日)
参考資料:『千葉県の歴史 別編民俗1』(千葉県史料研究財団編 千葉県 1999)(0200721971),
参考資料:『房総の民俗 昭和38年度千葉県民俗総合調査報告』(千葉県教育委員会 1964序)(9200292650),
参考資料:『成田市史 民俗編』(成田市史編さん委員会編 成田市 1982)(9200284120),
参考資料:『北海道開拓記念館研究紀要 第29号』(北海道開拓記念館 2001)(0105739232),
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