『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡石部町石部」、創築年代は「文明年間(一四六九-八七)」、創建者は「三雲氏」、形式は「平城」です。城の歴史は「石部城は、甲賀郡の西方の石部にある。ここは京・湖南から甲賀郡への入口にあたり、甲賀口と呼ばれている。東西八〇m×南北一〇〇mの平城で、石垣の一部が現存する。享禄年間(一五二八-三二)、三雲氏に替わり青木筑後守秀正・石部右馬允家長父子が居城した。石部氏は、甲賀五十三家、青木氏の一族で、正式官名は青木氏を名のっていた。甲賀郡を本城観音寺城の奥の城とする近江守護は、甲賀亡命のたびに石部城に籠城している。長享元年(一四八七)の鈎(まがり)の陣の戦いに、六角高頼軍は将軍足利義尚に攻められ、石部城へ籠もった。また、永禄十一年(一五六八)、織田信長の上洛の阻止に失敗した六角承禎、義覧父子も本城に入ったが、天正二年(一五七四)に佐久間信盛に攻められ、六角父子は脱出に成功するが、石部城は落城した。」とあります。なお、甲賀郡石部町石部は現在湖南市石部になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.273-274,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2,
参考資料:
3 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2130-2,
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