『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡安曇川町田中字大畑」、別称は「田中城・上の城」、創築年代は「鎌倉時代後期」、築城者は「佐々木田中氏綱」、形式は「山城」です。城の歴史は「上寺城は、安曇川(あどがわ)町の西方に広がる東西三.七km、南北二kmの泰山寺野(たいざんじの)洪積世台地における南東方面に派生した一支丘の突端部にあって、その支丘の頂部全体に山城が築かれたのである。(中略)上寺城はまた、田中城ともいうように、南市城と共に高島七頭の一員の田中氏の居城で、一説に南市城を平素の居館とし、いざ戦闘という際には詰(つめ)の城としてこの上寺城に立て籠もったといわれる。(中略)上寺城の位置に関しては、『近江輿地志略』に、「上寺村の上の山に在り」と簡略に記されており、地元民もこれまでただ漠然と集落の裏山にあったという以上に知るてだてもなかった。(中略)ところが、昭和五十三年の町教委による文化財パトロールのおりに、城の一部と思われる土塁とその土塁に囲まれた郭跡、さらには堀切や池等が発見されたのである。(中略)上寺城の一画の石段を登りつめた平坦地(標高一九〇m)に、現在、観音堂が建っている。この観音堂は、元亀三年(一五七二)の織田信長の兵火によって灰燼に帰したといわれる松蓋寺(しょうがいじ)の一堂宇である。比叡山延暦寺系の松蓋寺は往時大伽藍であったと伝えられており、高島七か寺の一院でもあったが、鎌倉時代後期にいたって寺域内に上寺城が築かれたのであろう。(後略)」とあります。なお、高島郡安曇川町田中字大畑は現在高島市安曇川町田中になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.297-298,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
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