『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡高島町高島」、創建者は「伊黒法泉坊新庄俊長」、形式は「平山城」です。城の歴史は「伊黒城は、はじめ下司職林右京亮が打下(うちおろし)城の支城として築いたものである。そののち法泉坊新庄俊長が城主となる。俊長は浅井長政に属して伊黒村およびその南を領地として治めていたが、織田信長の攻略に降伏したため、天正元年(一五七三)、浅井氏によって滅ぼされた。現在、伊黒には字名として城垣内等の名を残している。城跡は、丘陵の自然地形を巧みに利用し西面から北面にかけては鴨川が城を取り巻くように西から東へと流れている。城の立地をみると、平野部と山間部の境目に位置しており、今昔を通して重要視されたことがうかがえる。」とあります。なお、高島郡高島町高島は現在高島市高島になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.297,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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