『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡高島町字長法寺」、創築年代は「永正二年(一五〇五)」、創建者は「高島玄蕃允」。形式は「山城」です。城の歴史は「(前略)ここ勝野は北比良山系に連なる城山、長宝寺山が琵琶湖に臨み、とりわけ重要な地点であったと思われる。この長宝寺山頂には、高島七か寺の一つであった長宝寺があったが、その廃寺跡に打下城を建てたのが高島玄蕃允である。永正二年のことであった。ここは出城であるため、山頂に切り石を集積して湖に迫る一本の山麓の道を敵の攻め通る時に、山頂より石を転落させて防禦したものと伝えられている。今はその石積みがわずかに残っているだけで、防衛出城の面影はない。元亀年間(一五七〇-七三)、織田信長が高島郡内を攻略した時、城主は林与次左衛門であったが、ここも支配されてしまった。天正元年(一五七三)には磯野員昌が城主となり、養子信澄は大溝に城を移した。現在は、城の台、櫓谷の字名が残っている。」とあります。なお、高島郡高島町字長法寺は現在高島市勝野になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.298,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
4 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
5 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
参考資料:
6 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
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