『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡今津町字構」、形式は「平城」です。城の歴史は「(前略)中央部に堀跡よりも約一m上に郭(呼称「城」)が現存し、川を隔てて越丸という区画名もある。また南側に三太夫屋敷・小次郎屋敷などの呼称も残っていて、総面積はおよそ二万㎡の広さがあり、維新前には土塁らしいものがあり、もみの大木があったという。『高島郡志』によると、「植田甚之丞は構に居れり」とある。一説には、浅井長政が高島郡を攻略したとき、植田甚之丞は長政に敗れてこの地を逃れたということが伝えられている。」とあります。なお、高島郡今津町字構は現在高島市今津町福岡になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.300,
参考資料:
2 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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