『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡マキノ町字白谷」、形式は「山城」です。城の歴史は「奥田城は北陸街道より山麓に入った小字奥田に位置し、現在は周囲を山に囲まれた山林地帯で、往古より城跡と伝承されているが、その痕跡はみあたらない。一説では、明王寺とよばれる寺が存在し、その僧侶が居城した所ともいわれ、織田信長は、この明王寺の焼き討ちと城攻めにはひじょうに苦労したという。しかし、その他のことについては一切不明である。」とあります。なお、高島郡マキノ町字白谷は現在高島市マキノ町白谷になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.300,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
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