『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡朽木村岩瀬」、別称は「岩神殿」、創築年代は「承久三年(一二二一)」、創建者は「佐々木信綱」、形式は「平山城」です。城の歴史は「(前略)朽木氏館は、近江の守護佐々木信綱が承久の乱(一二二一)の功により朽木荘を賜わり、三男泰綱(六角氏祖)に守護職をゆずり、朽木荘に致仕して、京都北白川寂楽寺領であったものを接収して本拠とした。『近江輿地志略』『高島郡誌』その他の文献では、朽木氏館は朽木村市場、もしくは朽木村野尻に存在していると記しているが、昭和五十年、聖心女子大学藤木久志助教授が室町中・末期の地券・売券について内閣文庫保管の『朽木文書』を調査した結果、定説をくつがえす現在の興聖寺地籍が中世朽木氏の館であることがわかった。したがって現野尻の陣屋は、朽木元綱が関ヶ原合戦の功により、九千五百九十石を賜わった慶長五年(一六〇〇)以降、正式に城郭をかまえたものであろうということになった。現在館跡は、享保十四年(一七二九)に、川向かいの大字上柏から移転した朽木家の菩提寺興聖寺(開基、佐々木信綱、開闢永平道元禅師)の境内地で、面積約一.一二ha、本堂裏の竹藪の中には空堀・庭園跡、一部土居が残存しており、墓地内には石垣の一部も残っている。(後略)」とあります。なお、高島郡朽木村岩瀬は現在高島市朽木岩瀬になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.301-302,
参考資料:
2 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
3 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
参考資料:
4 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
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