『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「愛知郡秦荘町栗田」、創建者は「栗田六郎」、形式は「館」です。城の歴史は「栗田氏は鎌倉時代の末頃、小倉源氏の支流平井二郎実清より出たと考えられている。永禄二年(一五五九)、佐々木承禎が肥田城にあった高野瀬秀隆を水攻めで攻撃しようとしたとき、目加田城主と夫役の件で争うが、このとき、栗田修理亮の名が「栗田文書」に見られる。また、永禄十一年には、織田信長に抗して鯰江城に入り、佐々木義治と共に戦っている。その後は、元亀二年(一五七一)に、信長から佐久間信盛に栗田領三百石が恩賞として分与されていることから、栗田氏は衰えたものと思われる。なお、「大洞弁天当国古城主名札」には、栗田城主は佐々木氏、栗田村屋敷主には内藤帯刀・同丹波守の名が見える。城跡は栗田集落の北側にあって、土塁や堀の一部が残されており、昭和五十四年には道路計画に先立って一部発堀調査が実施され、土塁の断面等が判明したが、道路域内だけの調査のため内郭部については不明である。また、五十三年度には城跡西側の隣接地が調査されたが、遺構は確認されていない。」とあります。なお、愛知郡秦荘町栗田は現在愛荘町栗田になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.245,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
参考資料:
3 近江愛智郡志 第3巻 中川泉三∥著 弘文堂書店 1971年 5-2150-3,
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