『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「愛知郡秦荘町目加田」、創建者は「目加田二郎左衛門尉」、形式は「館」です。城の歴史は「目加田城は南に宇曾川の支流、岩倉川を控え、その北に方形に土塁と堀をめぐらせた単郭の館で、北東より小河川と自然水により堀に引き水し、南の岩倉川に通じている。門は南東の位置に構えられており、北西部には堀に橋を架けていたようである。目加田氏は藤原氏の出で、鎌倉時代より御家人格として佐々木氏に仕え、正慶元年(元弘二、一三三二)以後、文献上に登場し活躍するが、分家も多く、周防岩国の吉川(きっかわ)氏が出て、また越中取越城主となったものもある。目加田宗家は二郎左衛門を名のった。貞和三年(正平二、一三四七)に、六角氏頼に従い河内の藤井寺合戦で活躍し、分家で近江八幡市の比牟礼神社の神主職となった五朗兵衛信職は御家人でもあって、文武に秀で、建武年間(一三三四-三八)には足利尊氏に従い、摂津・河内・山城等の地で奮戦した。」とあります。なお、愛知郡秦荘町目加田は現在愛荘町目加田になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.246,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
参考資料:
3 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06,
参考資料:
4 近江愛智郡志 第3巻 中川泉三∥著 弘文堂書店 1971年 5-2150-3,
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