『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡高島町永田」、創築者は「永田胤信」、形式は「平城」です。城の歴史は「村落の北面に「てらかやぶ」とよばれる一郡の竹藪がある。ここが永田城跡とされており、宅地と田地に続いている。一帯には城出という地名が残っている。永田城は高島郷の地頭であった佐々木氏、高島高信の次男胤信が移り住んだのに始まる。代々永田氏は高島七頭の一員として、ここを居城としていた。『淡海温故録』によると、永田氏は、もとは高島氏の庶流であり、応仁・文明年間(一四六七-八七)の頃、東近江に勢力をもち六角家近習の旗頭を勤めたとされている。代々時の屋形(大名)に忠節であり、軍功もあったが、佐馬助秀宗の代に、浅井・朝倉軍の先鋒として坂本合戦に出陣し、織田信長軍に討たれて家は滅ぼされた。(後略)」とあります。なお、高島郡高島町永田は高島市永田になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.303-304,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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