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近江にあった南市(みなみいち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡安曇川町田中字南堀」、別称は「下ノ城」、創築年代は「鎌倉時代後期」、創建者は「佐々木田中出雲守氏綱」、形式は「平城」です。城の歴史は「(前略)南市城は、上寺城と共に田中氏の居城(館)であって、佐々木高島氏の始祖ともいうべき高信の次男頼綱(朽木氏)が、次男氏綱を田中郷の地頭に任じて、田中氏を名のらせたことに始まる。さて、南市城の遺構と思われるものは今日ほとんど残存しておらず、したがってその位置に関してもこれまで推測の域を出なかった。しかしながら、現在使われている下ノ城周辺の小字名とそれの畦畔の観察を通じて、大体の南市城の位置を確認することはできる。まず、下ノ城集落とそれの南に伸びた道路までの水田を「南堀」といい、集落の北に伸びた水田を「北堀」という。また集落の東に接した水田を「東堀」というが、それに対応する西堀の小字名はない。そのかわりに北堀の西隣りに「戌亥堂」が、南堀の西隣りに「堀ノ内」がある。だが、この戌亥堂なるものが、果たして南市城に関連した建物であったかどうかは、今のところ明らかでない。つぎに畦畔についてであるが、集落は周囲の水田よりも若干高く、北辺は東西にほぼまっすぐに区切られており、その集落の北辺に接して幅七mの水田が平行に長く走っている。さらに、その北隣りの水田(幅一三m)も東西に長く延びている。残りの三辺のうち西辺の畦畔もほぼ同様に観察することができる。これによって、南市城は現在の下ノ城集落に重複していて、六五m×六八mの南北に少し長い方形プランの平城であって、周囲の幅七mの空堀跡を入れると七九m×八二mの規模を有していたことが知られる。(後略)」とあります。なお、高島郡安曇川町田中字南堀は現在高島市安曇川町田中になっています。 参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.306-307, 参考資料: 2 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72, 参考資料: 3 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,

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