『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡高島町武曾横山」、形式は「平山城」です。城の歴史は「武曾城は、横山城の支城で、横山下野守高長のときに浅井長政に攻められて、横山の本城と共に敗れ浅井氏に降った。そして元亀三年(一五七二)、今度は織田信長の攻略によって降伏する。現在、武曾には字名として中殿・中殿前・大門等々が残っている。武曾城は、日吉神社の北西に位置し、南面は鴨川が西から東へ流れている。武曾城の本城横山に対する役割は、横山城が八田川を中心に北面を治めていたのに対して、武曾城は立地から鴨川を中心に横山城の南面を守るために築城されたものと解釈することが許されるであろう。」とあります。なお、高島郡高島町武曾横山は現在高島市武曽横山になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.307,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 8 高島郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1991年 5B-5200-8,
参考資料:
3 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72,
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