『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「犬上郡豊郷町八町」、創築年代は「永正年間(一五〇四-二一)、創建者は「赤田隼人正源隆」、形式は「平城」です。城の歴史は「八町城の城跡は八町集落の西に位置する白山神社境内から、その北の常禅寺境内にかけて、土塁・堀が残されているといった状態である。土塁の高さは全体に一.二-一.五m程度で、さして高さはないが、延長がよく残っている。また神社と寺との境にも二条の土塁があり、その間が堀跡で当初からのものと思われることから、連郭式の表面をもつ城跡と考えられる。城主の赤田氏は鬼退治で名をなした渡辺綱の子孫と伝えられ、当初は越後赤田荘の地頭であったが、綱の十世の孫備(そのう)が近江に来て、その子左衛門尉栄(さこう)が多賀町曾我に住み、その四世隆(たこう)の永正年間頃に八町に住むようになった。そして江北の浅井氏に従い、六角氏と戦い、さらに織田との姉川・小谷城の戦に加わって浅井氏と没落を共にした。」とあります。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.244,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
参考資料:
3 滋賀県豊郷村史 藤川 助三∥編 豊郷村史編集委員会 1963年 S-2157- 63,
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