『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「犬上郡豊郷町高野瀬」、形式は「平城」です。城の歴史は「(前略)城主の高野瀬氏は愛智氏の支流で、鎌倉時代から愛知郡内に居住していたようであるが、その詳細は不明であり、同時に、いつ頃当城が築かれたのかも不明である。ただ、同氏は応仁・文明の乱には活躍し、京極氏に従って細川勝元に仕えていたことが残されている。そして享禄二年(一五二九)には、佐々木定頼の女(むすめ)が細川晴元に嫁すときの使者として、高野頼家澄がその任に当たっているのを知ることができる。大永五年(一五二五)、佐々木定頼は浅井亮政を江北に攻めたとき、伊庭・九里とも対立していたことから苦境に落ち、細川高国の援けを請うこととなったが、戦いは長びき、朝倉教景を介して浅井氏との調停を申し入れた。この調停待ちの期間に定頼は江北・江南の中心にある当城に滞在し、不調停の場合を考慮して軍備を整えたのである。そして、このときの城主には高野頼備前入道や七朗右衛門が居たようで、『多賀神社文書』にその名が見える。なお、この城の廃城期間についても具体的な事例はなく、不明である。」とあります。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.243-244,
参考資料:
2 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5,
参考資料:
3 近江愛智郡志 第3巻 中川泉三∥著 弘文堂書店 1971年 5-2150-3,
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