『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「守山市浮気町」、創建者は「浮気時房」、形式は「館」です。城の歴史は「浮気城は、水神住吉神社の境内にあって、近江大橋取付道側の北と西側の土塁は二-三mの高さを持ち、比較的残りも良く、一部堀跡も残している。浮気氏は北条氏の出で、北条時綱のときに浮気を領した。その後、浮気階常は後醍醐天皇に仕え、藤丸五葉二花の紋を賜わった。また、応仁の乱(一四六七-七七)では美作守貞綱が佐々木政堯と三上山麓で戦っている。代々佐々木六角に従っていたが、一時期抗したこともあったようである。佐々木氏滅亡後は織田・豊臣氏に仕えていた。元亀元年(一五七〇)、織田信長が本願寺衆徒と対峙したおり、当城を拠点の一つとしたらしく、『金森日記抜』に、守山・浮気・勝部の城に奉行を配したことが記されている。」とあります。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.271,
参考資料:
2 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3,
参考資料:
3 野洲郡史 上 橋川正∥編 寺田精文堂 1972年 S-2120-1,
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