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近江にあった青地(あおち)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。(滋賀県立図書館)

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『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「草津市青地町」、創築年代は「鎌倉時代初期」、創建者は「青地左衛門尉忠綱」、形式は「平山城」です。城の歴史は「青地城は、東海道から東に入ること約二.二kmの伯母川、草津川の上流にあって、中世には現草津市の追分・野路方面、栗東町・金勝山方面、大津市・田上方面と直結し、交通の要衝であったと思われる。城はこの要衝を手中にみる城山上に位置し、今日では志津小学校・小規神社になっている。青地氏は在地土豪小槻氏より出、鎌倉時代初期に、近江国守護職佐々木定綱の五男である馬淵定広の四男基綱の養子となって青地姓を名のり、子忠綱が初めて青地城主となったとされている。しかし『近江栗太郡志』では築城を応仁の乱以後と記している。そして忠綱の子冬綱は守護代となり佐々木七騎の一人であったことから、当時すでに強大な力を持っていたことが知れるのである。その後、青地氏は各地の戦いに武威を誇ったが、一方、小槻神社を造営した重頼やその子高重などは戦死している。天正元年(一五七三)の六角氏滅亡に伴い青地城も廃城となり、当時の城主高直は加賀に行って前田氏に仕え、その後は豊臣秀次にも仕えたが、秀次の死後は金勝順主と号して隠士となったということである。」とあります。なお、栗東町は現在栗東市になっています。 参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.272, 参考資料: 2 滋賀県中世城郭分布調査 3 旧野洲・栗太郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1985年 5B-5200-3, 参考資料: 3 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ, 参考資料: 4 近江名跡案内記 北川舜治∥著 北川舜治 1891年 S-2900-891, 参考資料: 5 滋賀縣史蹟・名勝・天然記念物調査報告概要 滋賀縣保勝會∥編 滋賀縣保勝會 1922年 5-2900- 22, 参考資料: 6 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3,

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