『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「栗太郡栗東町上鈎」、創築年代は「長享元年(一四八七)」、創建者は「足利義尚」、形式は「館」です。城の歴史は「鈎陣屋は、(中略)大字上鈎小字寺内にあり、現在その跡地には永正寺が建っている。付近には本丸・三の丸・地蔵堂などの地名と、寺の周囲に堀や土塁跡が残されている。当陣屋は将軍義尚が六角高頼を親征するために近江に出兵したおりの陣所である。古図(同町大宝社蔵)によると、その規模・構造は外周に堀を巡らせ、東西一一一間×南北一二〇間の広さをもち、北西の四分の一は、さらに堀により内郭を画し、この内郭内の東辺に本丸の跡地がある。長享元年当初は、東方山安養寺に陣を構え、その二か月後に現在地の鈎(まがり)に移ったらしいが、目標の六角高頼は甲賀山中に逃れ、その効果はほとんどなかったという。また、将軍は陣中において歌会を催すなど華やかな生活を送っていたが、延徳元年(一四八九)、年若くしてこの陣中で病没した。『近江栗太郡志』では、三条実隆の日記の長享元年十二月の条に「蓮台寺内鈎云真宝旧館也」とあることから、町指定地とやや異なった所を推定している。」とあります。なお、栗太郡栗東町上鈎は現在栗東市上鈎になっています。
参考資料: 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.272-273,
参考資料:
2 近江名跡案内記 北川舜治∥著 北川舜治 1891年 S-2900-891,
参考資料:
3 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734,
参考資料:
4 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3,
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