『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市本堅田1丁目。浄土真宗本願寺派。夕陽山と号する。開基の善道はもと三上神社の神職で、のち堅田に定住。本願寺覚如の門弟浄信に接し真宗に帰依した。その子覚念は禅宗に帰依するが、次代の法住にいたり再度真宗となる。1460年(長禄4)には蓮如から帰命尽十万無碍光如来の金泥の十字名号を、のち宗祖親鸞と蓮如の連座像を下付され、蓮如門下としての地位を確立。当時は、はじめ堅田馬場の道場と称したが、法住の代のころに現在の本福寺に改称。蓮如の近江での布教の拠点となるとともに、地元にあっては全人(まろうど)衆の精神的つながりの中枢として信仰を得た。1468年(応仁2)山門衆徒による焼打ちをうけるが、ほどなく復興。のち蓮如の6男蓮淳は教団の組織化をはかり、それに抵抗する本福寺を圧迫したりもした。近世初期、本願寺の東西分派にさいしては西本願寺派に帰依。江戸時代に特筆すべきこととしては、のちに11世を継ぐ明式が1685年(貞享2)俳聖松尾芭蕉の門下となり千那と号し活躍したことで、そのため芭蕉もたびたび当寺に足をとどめている。(後略)(樋爪 修)」とあります。
参考資料: 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.682,
参考資料:
2 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95,
参考資料:
3 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.468-472,
参考資料:
4 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ,
参考資料:
5 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ,
参考資料:
6 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ,
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