下記の資料を提供する。
まず、「三角旗の中に日の丸」の旗を資料で確認する。
『図説 琉球王国』(高良 倉吉、河出書房新社、1993年)
p80-81 「琉球貿易図屏風」
p84 「進貢船の図」
p84-85 「那覇港図屏風」
上記の資料の中に質問者の言う旗の絵がある。
しかし、これが琉球の国旗であるかは確認できない。
『新琉球王統史 20 尚泰王/琉球処分』(与並 岳生、新星出版、2006年)
p46 「『日の丸』を琉球の島々に掲揚」の項に、「日の丸(日輪)は、かねて琉球船の“船印“でもありました。ただし、これはフリルをつけた三角旗で、航海の無事を太陽神に祈る意味で使用されたものです。日輪旗はすなわち太陽神の象徴であり、船舶だけでなく、王府が建てる石碑にもほとんどこの日輪がシンボルとして刻まれています。」との記述あり。
『中山傳信録』(徐 葆光/原田 禹雄、榕樹書林、1999年)
p30-31 「封舟図」あり。
p32-42 「封舟」の項に冊封に使用した舟の長さや部位の説明が記載されている。
質問の旗についての記述はない。
戦後の米軍施政下の沖縄の旗については、次の資料がある。
『日米関係のなかの沖縄』(我部 政明、三一書房、1996年)
p98-102 「幻の『琉球旗』」の項で、戦後の動きとして、琉球の旗を定めようとデザインされたものがあることを記している。また、航海の際に、必要性から琉球船舶旗(1967年6月まで)と、三角旗付きの日の丸(1967年6月から1972年5月まで)があったことの記載あり。琉球船舶旗と三角旗付きの日の丸の図あり。
参考にインターネット情報を紹介する。
「おきなわワールド 琉球古船展示場」
http://www.gyokusendo.co.jp/okinawaworld/info/map/ship/(2012年3月23日現在)
「三本の帆柱には日之丸や三角旗(ムーチャンチー)と縁取りされたものがありますが、これは太陽神を表したものでした。」と書かれている。
参考資料: 1 図説 琉球王国 高良 倉吉 田名 真之 河出書房新社 1993.2 K201/TA51 p80、p81、p84、p85,
参考資料: 2 新琉球王統史 20 尚泰王/琉球処分 与並/岳生∥著 新星出版 2006.8 K201/Y82/20 p46,
参考資料: 3 中山傳信録 徐 葆光∥著 原田 禹雄∥訳注 榕樹書林 1999.5 K200.8/J56 p30-42,
参考資料: 4 日米関係のなかの沖縄 我部 政明∥著 三一書房 1996.8 K207/G11 p98-102,
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