『写真集 明治大正昭和 新居浜ふるさとの思い出』に昭和通りの写真があり、“昭和6年に開通、鷲尾堪解治翁が提唱した”とある。
『鷲尾勘解治翁』には、“都市計画の樹立”に昭和6年2月の完成とあり、経過と自ら昭和通りと名付け、橋の名を「昭和橋」と命名し、橋柱を自ら書いたとある。
『鷲尾勘解治自伝』には、「私の考えた新居浜の将来」という翁の講演記録に昭和通りをつくり、白石町長はこれを県道として申請した」とある。
『白石誉二郎翁傳』には、、「昭和通りの構想と完成」として詳しく記載されている。
『新居浜産業経済史』の年表には、昭和6年2月新居浜町内の県道改築の第1期工事の記載あり。
『郷土研究 第47号』には、県道解地区落成式7月5日の記事が載っており、その中には昭和5年2月7日から西条新居浜線の工事が始まり、同年11月から垣生新居浜線に着手し、昭和6年6月10日竣工、とある。
参考資料:『写真集 明治大正昭和 新居浜 ふるさとの思い出』, (合田 正良/編 国書刊行会 1980)
参考資料:『鷲尾勘解治翁』, (新居浜市/編 1954)
参考資料:『白石誉二郎翁伝』, (白石誉二郎翁伝記刊行協賛会 1975)
参考資料:『新居浜産業経済史』, (新居浜市/編)
参考資料:『郷土研究 第1号~120号』, (愛媛県新居浜東高等学校郷土研究部/編)
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