「喫茶」に関わるらしい広告や看板の写真などは発見できたが、モーニングの様子などは発見できませんでした。
回答プロセス:・『所蔵写真目録第4巻』~『所蔵写真目録第8巻』を調査したが、喫茶店の写真はなし。
『所蔵写真目録 第5巻』 一宮市立豊島図書館 A027/シ/5
p22002 昭和34年の本町通商店街
『所蔵写真目録 第8巻』 一宮市立豊島図書館 A027/シ/8
p82006 昭和25年 本町の復興 「アイスクリーム・みつ豆・プリンス」という看板
・当館所蔵の『一宮タイムス』という地方紙で当時のものをいくつか調査した。
『一宮タイムス 55-1-1~55-4-30』 一宮タイムス社 1955年
昭和30年1月5日 広告 店舗の外観部分写真 公告文字に「酒・肉・塩・乾者・青物・喫茶・和洋料理・中華菜館 株式会社三楽商店」とあり
昭和30年1月5日 広告のみ「割烹仕出し 古川家」「喫茶、食堂部をご利用ください」「商談・宴会・御座敷を」とあり
昭和30年1月5日 広告のみ「大関屋」「コーヒー、しるこ、洋菓子」とあり
昭和30年3月25日 広告のみ「純喫茶 ビクター」とあり
…上記のような、広告で「喫茶」の文字があるものは、新聞中随所にみられたが、写真は少なく、モーニングの様子というものは見つからなかった。
・その他、新聞で以下の資料を調査したが、写真などは無し。
『一宮地方新聞記事索引 1971』 一宮市立豊島図書館/編者 一宮市立豊島図書館 1973年 A070/4/71
記載なし
『読売新聞 地方版 2012(平成24)年10月~12月』 読売新聞社 2012年
2012.10.17(22)「モーニングのルーツ」 一宮市の喫茶について記載あり
2012.10.3(26)「喫茶代 大都市圏で突出」 一宮のモ―ニングについて記載あり
・市の広報資料を確認したが、記載なし。
『一宮市勢要覧 1952(昭和27)年版』 一宮市広報室/編集 一宮市/編集 一宮市 1952年 A318/1/52
巻頭の写真12ページ目「本町繁華街」に「喫茶」の看板あり
『一宮広報 1969(昭和44)~1974(昭和49)』 一宮市市長公室企画課/編 一宮市役所 A318/83/69
『一宮広報 昭和50年1月6日(No.1075)』 一宮市役所 A318/83/75-78
『一宮広報 昭和54年1月5日(No.1215)~昭和56年12月15日(No.1319)』 一宮市役所 A318/83/79-81
・郷土歴史、商業の分野をブラウジングで調査。
『フクハウチ 其の1』 扶桑社 2007年 A294/フ
p132~133 名古屋式モーニング文化について 一宮の店にも若干の言及あり
『名古屋モーニング図鑑 名古屋の元気はモーニングだで、食べてってちょ。』 LD&K2012年 596/ナコ
p2~モーニングの始まりについて。昭和30年代から繊維産業がさかんな一宮や豊橋で一日に何度も応接室代わりに使っていた、などと記述あり
『昭和の一宮 写真集思い出のアルバム』 松本 勝二/編著 郷土出版社 1983年 A273/83/2
p123 バラック建ての喫茶店(昭和21年)あり
『一宮・尾西・木曽川いまむかし 写真集』 名古屋郷土出版社 1989年 A273/114
p18 旧伝馬町の写真(年代不明モノクロ)の中に「喫茶ミウラ」の看板 少し奥のビルについた看板に「COFFEEミウラ」の文字あり
『名古屋の喫茶店 続』 大竹 敏之/著 リベラル社 2014年 596.7/オオ/2
p62 モーニングの発祥について記述有り
・以下、記載なしの資料
『ふるさと再発見・伝統行事フェスタ 伝統行事スタンプラリー一宮フェスティバル』 一宮商工会議所 2001年 A386/78
『わがまち尾西 尾西市制50年史』 尾西市制50年史編集委員会/編集 一宮市尾西歴史民俗資料館 2006年 A273/ワ
『ここまでやるか名古屋人』 名古屋に学ぶ研究会/編著 二見書房 2004年 A141/4
『ふるさと一宮』 岩野 見司/監修 郷土出版社 2011年 A273/フル
『史録いちのみや』 松本 勝二/著 郷土出版社 1986年 A273/96
一宮のモーニングについて、以下のサイトを紹介
一宮モーニング 公式HP(参照:2016/9/2)
https://ichinomiya-morning.com/?page_id=10
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