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「殊に先年傳奏使の饗應役を勤めたる大洲(おおず)藩より懇切なる注意もあり、」という一文について、 くわしいことがわかる資料はあるか。 ※大洲藩=現・愛媛県大洲市本町(一宮市立図書館)

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内容は確認できませんでしたが、こういった資料もありますとお勧めしたところ 『史話日本の歴史 19』清原康正、鈴木貞美/編集.作品社,1991 上記の本をリクエストされました。 回答プロセス:自館にて検索 『藩史大事典 第6巻』木村礎/[ほか]編.雄山閣出版,1990,R210.5/ハン/6  p516-530 大洲藩の内、p521〔藩史略年表〕 「寛永20(1643)年7月7日、泰興ら、江戸で朝鮮使節馳走役を命ぜられる。(「加藤家年譜」)」との記述あり。 p553-565 吉田藩の内、p557 「元禄5(1692)年3月、公家接待役を命ぜられる。元禄14(1701)年2月4日、村豊、赤穂藩主浅野長矩とともに公家接待役を命ぜられる。」との記述あり。 『三百藩藩主人名事典 4』藩主人名事典編纂委員会/編.新人物往来社,1986,R281/サ/4 p260 2段目「同十四年二月四日、年頭の賀使として~の接待役を命ぜられたが…」との記述あり。 『徹底検証元禄赤穂事件』.成美堂出版,1998,210.5/テ p52-55 「勅使饗応」について内、p54 「院使馳走役に伊達左京亮村豊(宗春)が任命されている。」との記述あり。 『伊予吉田藩』宇神幸男/著.現代書館,2013,218.3/ウカ p81-101 村豊の饗応役について記述あり。大洲藩についてはなし。 『赤穂義士談』信夫恕軒/著.広文堂書店,1902,所蔵なし(国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧可) 15~16行大洲藩と浅野家のやりとりの記述あり。  <吉田藩と大洲藩の関係性またそれについての資料の有無の調査> 宇和島市立中央図書館へ調査依頼したところ、吉田藩と忠臣蔵との関わりはあまりメジャーではないので、残存する資料も少ないとのこと。 『藤蔓延年譜(トウマンエンネンフ・トウマンエンネンプ)』(吉田藩公式記録)…数行記載はあるが、質問内容に関することはなし 『御歴代事記(ゴレキダイジキ)』(宇和島藩公式記録)…同上 →どちらも、「松の廊下で浅野が吉良を云々」程度とのこと。 『吉田町史』にある記載も、出典は『吉田藩昔語』。 通説・俗説の域を出ない(資料がないので)との回答でした。 事前調査事項:『吉田藩昔語』戸田友士/著.歴史図書社,1978 p87-89「三八 藩主が江戸にての勤務及び下向の模様」

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