当館所蔵資料を調査いたしましたが、「来寧」の正確な読み方について記述されている資料は見つかりませんでした。ただ、「来寧」に読み仮名がふってある新聞記事がいくつか見つかりましたので、ご参考までにご紹介いたします。
・1897年(明治30年)06月23日 東京朝日新聞 朝刊 5ページ
「来寧延期」
→当時の東京朝日新聞に掲載されていた、当時首相の松方正義の来寧が延期になったことの電報記事です。記事中では、判読しづらくはありますが「らいねいえんき」と記載されています。
・2010年(平成22年)10月23日 読売新聞 大阪朝刊 31ページ
「ダライ・ラマ 平和を語る 東大寺で来月8日=奈良」
→チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が奈良市の東大寺で講演会を行った際の事前告知記事です。講演会の主催は「ダライ・ラマ法王来寧(らいねい)招致実行委員会」と書かれています。
また、すでにご確認いただいているかもしれませんが、ご参考になるかと思われるSNSの投稿がありましたので、念のためご紹介いたします。
下記のリンクは、日本経済新聞の校閲を担当する総合編集センター校閲グループによるSNS「X」への投稿です。投稿には、各県の「来県」の言い方を表でまとめられており、奈良県は「来寧(らいねい)」と記載されています。
https://x.com/nikkei_kotoba/status/1574700379471609856 (最終確認日2024/8/21)
奈良(現在の奈良市)は、古くは「寧楽」とも書きました(『広辞苑 第7版』新村出編 岩波書店 2018.1 より) 。この「寧楽」を漢和辞典(『新選漢和辞典』小林信明編 第8版 ワイド版 小学館 2011.1)で引くと、「寧」の熟語の1例として挙げられていますが、読み方は「ねいらく」となっています。この「寧楽(ねいらく)」の意味は、①安んじたのしむ、②奈良のこと、と記載されています。この「寧楽(ねいらく)」と「来県(らいけん)」を合わせて、「来寧(らいねい)」と呼ばれているのではないかと思われます。ちなみに、今回の調査では、すでにご確認いただいている奈良市生涯学習財団の「中部公民館だより」以外に「らいな」と読まれた資料は見つかりませんでした。
また、来寧と使われるようになった時期については、正確な時期は分かりませんでしたが、ご参考になるかと思われる新聞記事が見つかりましたので、ご紹介いたします。
・2019年11月30日 朝日新聞 東京本社 朝刊 13ページ
「(ことばサプリ)来崎 「地名を漢語らしく」江戸期から」
→広島を訪れる「来広」、福岡の「来福」など、日本の各地を訪れた際の来○という言葉について書かれた記事です。執筆者である校閲センターの森本類氏によると、「来○」という言葉は、江戸時代にはすでに存在していた旨の記載があります。記事内に、「来寧」の記載もありますが、読み方は書かれていません。
事前調査事項:インターネット上の関連ページ(Wikipedia等)は調査済み。
例).奈良市生涯学習財団発行の中部公民館だより(下記URL)には「らいな」とある。
https://manabunara.jp/cmsfiles/contents/0000006/6098/chubu_dayo_20180726.pdf (最終確認日2024/8/21)
参考資料:『広辞苑 第7版』新村出編 岩波書店 2018.1, 9784000801317
参考資料:『新選漢和辞典』小林信明編 第8版 ワイド版 小学館 2011.1, 9784095014609
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