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近世期の大坂の町を維持運営するための施設(芥捨場、木戸や番小屋、会所など)の存在や状況が分かる絵図や絵画資料にはどんなものがあるか。例えば、◯◯町絵図とか、◯◯屋敷図とか、名所図会などの絵画資料を想定している。図書館でどのように調べればよいか。

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図書館では、まず「近世大坂の町」についての研究書や研究論文(特に町の維持運営施設についての研究書)を調査し、その中で用いられている図版を確認し、見たい史料のあたりがついたら、史料を持っている、或いは持っていそうな機関(図書館、資料館や博物館)において史料(原資料、一次資料)を調査する。 1.近世大坂の町に関する研究書・研究論文の調査 (1)『まちに住まう 大阪都市住宅史』(大阪市都市住宅史編集委員会/編 平凡社 1989.8) P116(図14)「大坂の惣会所」(東山画・大江坂鳧鐘『浪華勝景帖』) →大坂三郷の惣会所が描かれている。原本は大阪市立博物館(現・大阪歴史博物館)蔵。 P201(図11)「安治川沿いの町木戸と火の見櫓」(『安治川沿岸絵巻』) →安治川沿岸の町の様子を描いた絵巻に町木戸、火の見櫓なども描かれている。原本は大阪城天守閣蔵。 (2)『住まいのかたち暮らしのならい 大阪市立住まいのミュージアム図録』(大阪市立住まいのミュージアム 2001.3) P10(図5)『浪速勝景帖』に描かれた北組惣会所 →『まちに住まう 大阪都市住宅史』 でも掲載されていた図版がカラーで掲載されている。 P11(図7)「復元した大坂町三丁目」の町家連続平面図 →“大坂町三丁目”は、大阪市立住まいのミュージアムが近世(天保期)の大坂の町を復元した架空の町。 町会所、木戸門、共同井戸、共同便所などがこの平面図に記されている。「明治19(1886)年の『建家取調図面』を参考にして作成した」とある。 ※『建家取調図面』については(3)を参照。 P15(図14)『大坂市街図屏風』(部分) →図の解説「江戸時代の景観を描いた『大坂市街図屏風』(部分)。東横堀沿い、高麗橋東詰の木戸門。右手には共同井戸も見える。当時の町屋の形態、風俗が分かる貴重な史料である。」原本は個人(原卓氏)蔵。 P26(図31)『道修町三丁目町会所麁絵図』 →道修町三丁目町の会所周りの平面図。図の解説「通りに面して借家が建ち、町会所はその奥に位置する。玄関には式台があり、座敷には床の間が設けられる。」町会所の間取りなどを見ることができる。原本は大阪府立中之島図書館蔵。 (3)『近世大坂の都市空間と社会構造』(塚田孝/編 山川出版社 2001.2 )  前出の『建家取調図面』について、「『建家取調図面』に書きあげられた家屋は、調査時点の明治十九年以前の建築である。当該地域は寛政の大火で全焼していることから、その上限は寛政四(一七九二)年をさかのぼることはないので、およそ江戸末期の状況を伝える資料と考えられる。」(P47)としている。 同書のP53~P55に、『建家取調図面』のうち、伏見町3丁目、道修町3丁目、平野町3丁目の連続平面図が掲載されている(ただし、図版はそれほど大きくはなく、図面に記入された文字は判読が困難)。 (4)「大阪上町の町割と町並」矢内昭(『大阪府の歴史 第8号』(大阪府史編集室/編集 大阪府史編集室) 1977.1 P2-22)  水帳などを参考にして作成した江戸時代の大坂の町の復元図が何点か掲載されている。 ※復元図はいずれも平面図で、道路、土地割、家屋敷の代表者名が記されている。以下の(5)、(6)の復元図も同様の平面図。 ・P15「内本町橋詰町復元図(安政三年)」※会所などの記入なし ・P17「骨屋町筋と本町通界わい復元図(安政三年)※「会所」の記入あり ・P20「鈴木町界わい復元図(安政三年)」※会所などの記入なし ・P21「天満橋・天神橋両南詰界わい復元図(安政三年)」※「会所屋敷」の記入あり (5)「船場の町並みあちらこちら-安政水帳などからの復原-」矢内昭(『大阪春秋 第31号』(新風書房)1984.3 P48-57)  (4)同様に、水帳などを参考にして作成した復原図が掲載 ・P49「北脇東三丁の町並み-安政3年-(復原図化・矢内昭)」※「会所」の記入あり →(高麗橋一丁目)嘉永四年家持借家人別判形帳」、「(高麗橋一丁目)慶応三年地主絵図」、「(北浜一丁目、今橋一丁目)安政三年水帳」から作成したとある。 ・P51「過書町図-安政3年(復元図化・矢内昭)」※「会所屋敷」の記入あり ・P56-57「伏見町・道修町・平野町三通りの町並み」※「北組惣会所」、「会所」の記入あり →安政水帳により街並みを復原とある。 (6)『大阪古地図物語』(原田伴彦[ほか]/著 毎日新聞社 1980.7)  こちらにも、水帳などをもとにした町並の復元図が掲載されている。ただし、写真版で写りがあまりよくない。 ・P144-145「北脇東部水帳絵図(安政3年)復元図 矢内昭」※「会所屋敷」の記入あり ・P146-147「北脇西部水帳絵図(安政3年)復元図 矢内昭」※「会所屋敷」の記入あり ・P150-156「道修町通り水帳絵図(安政3年)復元図 矢内昭」※「会所屋敷」の記入あり <その他調査資料> 今回の調査に用いたものの、参考となるような図版が見つからなかった資料。 ・『近世大坂の家・町・住民』(乾宏巳/著 清文堂出版 2002.6) →巻頭の表1-1-Bに「弘化2年(1845)菊屋町並推定図」がありますが、会所などの記入はない。 ・『なにわ 大坂菊屋町 記録・都市生活史』 (乾宏巳/著 柳原書店 1977) ・『町に住まう知恵 上方三都のライフスタイル』 (谷直樹/著 平凡社 2005.4) ・『大阪町絵図展』[1963]【291.63/520N】※大阪城天守閣における展示会の図録。 ・『天下の台所・大坂 図説大坂』(脇田修/監修 学研 2003.8) 【216.3/622N】 ・『商都のコスモロジー 大阪の空間文化』 (鳴海邦碩/編著 TBSブリタニカ 1990.4) ・『街能噂(「浪速叢書 第14」』(船越政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会 1927) ・「大阪三郷町割復原の資料と方法」矢内昭(『大阪府の歴史 第8号』1976.3 P23-44) ・『浪花風俗図絵 [正]』(長谷川貞信/図絵 ; 杉本宇造/解説編集 杉本書店 1968.7) ・『浪花風俗図絵 続』(長谷川貞信/図絵 ; 杉本宇造/解説編集 杉本書店 1972.9) ・『浪花風俗図譜 全』(長谷川貞信/原画 ; 柿谷実/模写 ; 出口神暁/校訂 和泉文化研究会 1964.8) 2.近世史料の調査について  上記の研究書などを見ると、大坂の町を描いた絵画資料のほか、各町が管理していた水帳(町内の家屋敷の台帳)などの文書をもとにして、近世の大坂の町の様子を読み解いていることが多い。 (1)絵画資料  近世の大坂を描いた資料には『摂津名所図会』や『浪花百景』など多くのものがあり、これらは中之島図書館でも閲覧可能。 (参考)大阪府立中之島図書館 錦絵にみる大阪の風景(『浪花百景』などを閲覧可能) http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2)町方文書  当館にも近世大坂の各町で管理していた文書がいくつか残されており、そのなかには絵図(平面図)もある。ただし、町によっても文書管理の仕方は異なると考えられるため、求める情報があるかどうかは文書を丹念に見ていく必要がある。 たとえば、中之島図書館が所蔵する水帳のなかにも絵図の付いたものがいくつかある(以下例示)。 ・「京町堀弐丁目水帳絵図(元禄六年)」 ・「今橋一丁目水帳付絵図(元禄六年、安永七年」 ・「七郎右衛門町弐丁目水帳絵図(寛文二年)」 ・「備後町三丁目水帳付絵図(宝暦三年)」 ・「農人橋壱丁目水帳付絵図(文化十二年)」 これら以外にも「道修町三丁目文書」や「平野町二丁目文書」、「菊屋町文書」、「木挽町文書」といった町方文書を所蔵しており、中之島図書館内で目録も閲覧可能。 (参考)大阪府立中之島図書館 貴重書・文庫一覧 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/collect.html 3.大阪市立住まいのミュージアム 大阪市立住まいのミュージアムについて、 『町に住まう知恵 上方三都のライフスタイル』(谷直樹/著 平凡社 2005.4)のなかで、「江戸時代の町並みは、このミュージアムの最大の展示品で、すべて学問的な裏付けのもとに制作された。よくあるテーマパークの時代劇のセットとは全く異なるものである。とりわけ、大学の専門家が、各種の監修に大きな役割を果たした。その蓄積は膨大なもので、このミュージアム自体が一種の学術論文の成果であると考えられる。」(p328-329)と記されているので、問い合わせてみれば参考になる情報が得られるかもしれない。 ・大阪市立住まいのミュージアム 〒530-0041 大阪市北区天神橋6丁目4-20 住まい情報センタービル8階 TEL 06-6242-1170 http://konjyakukan.com/

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