地名辞典等を調べたところ、「斎藤町」は江戸期~明治5年の町名で、現在は「大阪市西区江戸堀1~2丁目」付近に相当する。
◆参考資料◆
・『大阪の町名』(大阪町名研究会/編 清文堂出版 1977.9)
p241~242 江戸堀上通一~二丁目(えどぼりかみどおり)
「この区域には、江戸時代に斎藤町・白子裏町・犬斎町・井路屋町があったが、のちに犬斎町と井路屋町を合わせて布屋町とした。」
「明治五年三月十七日、斎藤町を江戸堀上通一丁目、白子裏町と布屋町を江戸堀上通二丁目と改称したが、」
・『角川日本地名大辞典27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p514~515 さいとうまち 斎藤町 <西区>
〔近世〕江戸期~明治5年の町名。江戸期は大阪三郷北組のうち。「宝暦町鑑」によれば「西よこぼり斎藤ばし(尼崎橋)西詰からにしへ」の町とある。・・・明治2年に西大組に所属。同5年江戸堀上通1~2丁目となる。」
p200 えどぼりかみどおり 江戸堀上通 <西区>
〔近代〕「もとは西大組斎藤町・白子裏町・布屋町。2丁目には浄土真宗本派浄光寺がある。」
「昭和36年一部が江戸堀北通1~2丁目となる。同52年江戸堀1~3丁目・土佐堀1~3丁目となる。」
・『西区史 第3巻』(西区史刊行委員会/[編] 清文堂出版 1979)
p263 江戸堀通一丁目 「昔は斎藤町と称せられた地で、今の尼ケ崎橋も斎藤橋が旧名である。」
p263-264 江戸堀通二丁目 「昔の白子裏町と布屋町とを合併した町である。此処には「お化銀杏」で名高い浄光寺がある。船岡山と号し真宗西本願寺末で、浄光寺というよりも「いてふ寺」と呼ぶ方がよく通ずる。」
「浄光寺」の場所については次のとおり。
・『大阪府宗教法人名簿』昭和34年2月現在 (大阪府生活文化部私学課 1959)
p11 [西区] 包括団体名:浄土真宗本願寺派 寺院名:浄光寺 所在地:江戸堀上通二の五六 代表役員名:(代)鷲尾 清己
・『明治前期・昭和前期大阪都市地図』(清水靖夫/編 柏書房 1995.6)
p102-103 大阪詳細図6(1931) 江戸堀上通二丁目51の付近に「浄光寺」の名が見える。
・西区の住宅地図(昭和39年6月)を見ると、昭和39年4月1日現在の戸数などが書かれた「西区区分図」には、江戸堀上通二丁目に「浄光寺」の名が見えるが、詳細図では、「空地」となっており、現在「浄光寺」は、そこにはないと思われる。
以上の情報を元に、現在の地図と照らし合わせると、浄光寺の所在地は、「大阪市西区江戸堀1丁目18」のブロックになる。上記『大阪府宗教法人名簿』の住所から考えると、現在、三井住友銀行会館がある付近にあったと思われる。
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