『野菜の力をいかす和食薬膳レシピ』『いつもの野菜で薬膳する!』
回答プロセス:分類498、596の棚を探す。
『野菜の力をいかす和食薬膳レシピ』に、食物の五性「寒、熱、温、涼、平」について、書かれている。また、それぞれの野菜にについて、レシピがあり、「陰・陽・平」の記載がある
そのほか、「野菜 薬膳」のキーワードで検索し、とりよせ。
参考資料:『野菜の力をいかす和食薬膳レシピ』武 鈴子/著(家の光協会),
参考資料:『いつもの野菜で薬膳する!』加藤 奈弥/著(講談社),
参考資料:『今日からはじめる野菜薬膳』橋口 亮/著(マイナビ),
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野菜の陰と陽について知りたい。体を冷やしたりあたためたりする効果を知りたい。(豊中市立図書館)
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折り紙でキティちゃんを作りたいのだが、作り方が載っている本はあるか(豊中市立図書館)
『サンリオキャラクターの折り紙手芸』(ブティック社)
回答プロセス:くわしく話を聞くと、一枚の折り紙ではなく、小さいパーツをたくさん折って組み合わせて作りたいとのこと。
「折り紙手芸」で蔵書を検索して出てきた、『サンリオキャラクターの折り紙手芸』にのっているようなので、取り寄せて提供した。
参考資料:『サンリオキャラクターの折り紙手芸』(ブティック社),
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日本最古のカフェの建物が豊中市内にあると聞いたことがあるが、現存するか、またどこにあるのか知りたい。朝日新聞の記事があったように思う。(豊中市立図書館)
『新修豊中市史 第2巻 通史2』などによると、阪急豊中駅付近にあった「豊中クラブ自治会館」の建物が、日本最古ではないものの、大阪では最初の部類に入るコーヒー専門店の建物を移築した可能性が高いとのこと。なお「豊中クラブ自治会館」は平成25年10月に解体され現存しない。
回答プロセス:『世界大百科事典 改訂新版 第7巻』(平凡社)p58-59「喫茶店」によると、1888(明治21)年に東京にカフェをまねた「可否茶館」が開店しているが、時期が早すぎて客が少なくすぐに閉店、1911年に東京銀座南鍋町に開店したカフェ・パウリスタをはじめとして明治末に東京や大阪の盛り場にカフェができ、商売として成立するようになったとのこと。
『図説 明治事物起源事典』(柏書房)p290-291「コーヒー」には、明治9(1876)年に浅草観音境内で下岡連杖(しもおかれんじょう)がコーヒー店を開き、また明治11年には神戸の茶舗がコーヒー店を併設しているとのこと。可否茶館についても詳しく、わが国最初の本格的コーヒー店であったが明治24年頃から経営が悪化、明治44年に開業した「カフェ・パウリスタ」以降コーヒー店は商売として成り立つようになったとしている。さらに「風俗画報」明治36(1903)年9月10日号の図版として、成田鉄道の上野~成田間直通列車の喫茶室でコーヒーを提供している様子が紹介されている。
次いで朝日新聞記事データベースで「最古 カフェ 豊中」と検索すると、2009.10.5(月)夕刊の記事「最古のカフェ?豊中に 「箕面から移築」の自治会館 市、調査に本腰 【大阪】 」がヒット。明治末に箕面国定公園にあった「カフェーパウリスタ」の建物が阪急豊中駅付近の豊中クラブ自治会館にあたるのではないか、との記載があり。
『新修豊中市史 第2巻 通史2』(豊中市)を調べると、p238-239にカフェーパウリスタについての記載があり。箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)箕面駅から箕面の滝へ続く滝道の入り口付近に明治44年6月25日に開業した「カフェーパウリスタ箕面喫店」が入っていた洋館が、大正に入って豊中駅西側に移築された可能性が高いとの記載があり。豊中クラブ自治会館と上記洋館の建物は同一の可能性が高いとのこと。なお箕面喫店はコーヒー専門店としては大阪で最初の部類に入るとの記載があり。
『日本で最初の喫茶店 「ブラジル移民の父」がはじめたカフェーパウリスタ物語』(文園社)p43-47「第一号店は箕面店だった」によると、カフェーパウリスタ銀座店の開業は明治44年12月12日。これに対し箕面店の開業は明治44年6月25日で、前日の大阪朝日新聞に開業広告が出ているとのこと。また箕面市役所が所有していた3枚の絵葉書から、カフェーパウリスタ箕面店の存在が確認され、上記開業広告が発見されて箕面店が1号店だと判明するまでの詳細があり。なお箕面店は1年で閉店し、道頓堀店が明治45年1月26日にオープンしている。
さらにGoogleで「豊中クラブ自治会館」を検索すると、2009年の関西大学名誉教授・豊中市文化財保護審議会副会長:永井規男氏による調査報告(PDF)http://www.arch.kansai-u.ac.jp/hozon2/11-Paurisuta/data/nagai_professor.pdf がヒット。こちらもご紹介する。
現存するかどうかについて豊中市のサイトを見ると、「阪急豊中駅・岡町駅周辺の集会施設のご案内」http://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/npo/jiti/hinto/shisetsuinfo.html の紹介文(PDF)に、豊中倶楽部自治会館は平成26(2014)年1月に建て替えが行われたとあり。
日経新聞記事データベースより2013年11月2日夕刊「カフェ文化の先駆け店、映像に(うたた寝)」に記事があり、同年10月に建物が解体されたとのこと。
参考資料:『世界大百科事典 7』(平凡社),
参考資料:『図説明治事物起源事典』湯本 豪一/著(柏書房),
参考資料:『新修豊中市史 第2巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市),
参考資料:『日本で最初の喫茶店 「ブラジル移民の父」がはじめた』長谷川 泰三/著(文園社),
備考:なお、『珈琲遍歴』(旭屋出版)p271-280「カフェー・パウリスタ」には、明治44年11月銀座7丁目に開業とあり。また上海を含む19箇所の喫茶店(うち大阪は南心斎橋筋の「戎橋喫店」)と大阪・南長堀橋の支店を列記しているが、箕面店の記載はなかった。
また、『豊中 ありし日の景観』(鹿島友治)p13には、大正末年頃、豊中駅西側に豊中クラブ(豊中住宅親睦会の集会所)ができたとの記載があるが、これがカフェーパウリスタ箕面店の建物を移築したものであるかどうかは不明。
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豊中市立図書館にある本で、一番長い題名の本は何か。(豊中市立図書館)
2007年6月に出版された『悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい。』は、114文字で出版当時最長の書名との記事が朝日新聞にあり。
2014年6月現在、この本は当市に所蔵あり。その後さらに長いタイトルの図書が出版されたかどうかは確認できず。
回答プロセス:朝日新聞記事データベースを「書名 長い」で検索すると、2007年7月5日朝刊の「長いタイトルの本、増えてます 『悩みも迷いも若者の特技だと思えば…』は114文字」がヒット。同年6月に出版された横尾忠則の著作『悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい。』(勉誠出版)が紹介され、編集者の言葉として、これまで一番長かったタイトルを超えるものにした、との記載があり。また「ロビンソン・クルーソー」について、原題は英語68語、邦訳にして約125文字の長さがある、との紹介があり。
当市所蔵の「Robinson Crusoe」3点を取り寄せ確認するが、いずれもタイトルとして68語すべてを載せてはいない。
このほか、読売新聞・日経新聞記事データベースも調べたが、最も長い書名についての記事はなし。
Google Books、Ciniiを検索しても関連のありそうな情報はヒットせず。
参考資料:『悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい。』横尾 忠則/著(勉誠出版),
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月の満ち欠けについて分かる絵本はあるか(豊中市立図書館)
『月の満ち欠け絵本』あすなろ書房、『月の力のひみつ』子どもの未来社
回答プロセス:絵本としては、『月の満ち欠け絵本』あすなろ書房、があるが、貸出中である。
書架にあった、『月の力のひみつ』子どもの未来社、を借りていただいた。その他、月の満ち欠けで検索すると、
『月の満ち欠けのひみつ』子どもの未来社もあり。
参考資料:『月の力のひみつ』関口 シュン/絵・文(子どもの未来社),
参考資料:『月の満ちかけ絵本』大枝 史郎/文(あすなろ書房),
参考資料:『月の満ち欠けのひみつ』関口 シュン/絵・文(子どもの未来社),
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豊中市北東部の旧村名「熊野田(くまのだ)」は和歌山の熊野大社と花山法皇にゆかりのある地名だと聞いた。このことについて詳しく書かれた本はあるか。(豊中市立図書館)
『豊中たずねある記』『こころのふるさと 豊中八坂神社』などに、花山法皇が紀州熊野権現を勧請して寺社を建立し、熊野代山と名付けたことから熊野田の地名となったとの伝承があり。
回答プロセス:郷土資料の書架を探す。
『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名1』(平凡社)p281「熊野田村」には村名の由来はなし。応永8(1401)年の春日社領垂水西牧田数帳に熊野田の名が見え、また慶長10(1605)年の摂津国絵図には熊田村とあるとのこと。p282「宝珠寺」に摂津名所図会の引用と寺伝があり、これによると花山法皇が仏眼上人に命じて熊野権現を勧請したため宝珠寺の山号を熊野代山、村名を熊野代といい、これが熊野田になったとのこと。
『大阪府全志 巻之三』(大阪府)p1245「熊野田村」には、もとは熊野代村といったが後になまって熊野田村になり、俗には「くまんだい」とも言うとあり。村名の由来は花山法皇が仏眼上人に命じて、紀州熊野山に模して建立した寺を熊野代山と号したことからとあり。
『豊中たずねある記』(鹿島友治)p218-220「豊中の地名(旧村名)の由来 熊野田村」、『北大阪の史跡を探る』(旭書房)p218-220にも同様の記載があり。
『こころのふるさと 豊中八坂神社』(八坂神社千年祭実行委員会)p62「熊野田の地名」にも、熊野代山の名称が地名となり、「くまんだい」「くまんだ」となって「熊野田」という感じが当てられたとの記載があり。
『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p30「宝珠寺」p29「八坂神社」には熊野田の地名の由来については記載はないが、創建縁起などがわかりやすく記載されている。なお宝珠寺の金銅菩薩立像は飛鳥時代後半の製作で市内最古の仏像、木造彩色聖観音立像は11世紀頃に作られた檜材の寄木造でいずれも市の指定文化財。
参考資料:『日本歴史地名大系28‐[1]』(平凡社),
参考資料:『大阪府全志 巻之3』井上 正雄/著(清文堂),
参考資料:『豊中たずねある記』鹿島 友治/著(サンケイ新聞生活情報センター),
参考資料:『こころのふるさと 豊中八坂神社』[豊中八坂神社]千年祭実行委員会広報委員/編集(豊中八坂神社千年祭実行委員会),
参考資料:『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課),
参考資料:『北大阪の史跡を探る』松田 太郎/著(旭書房),
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樹木につく害虫について、詳しく載っている本はあるか。できれば木ごとに、どの木にどんな虫がつきやすいかわかるとなおよい。(豊中市立図書館)
『樹木医が教える緑化樹木事典』などをご案内した。
回答プロセス:園芸(62)などの書架を探す。
『樹木医が教える緑化樹木事典 増補改訂』(誠文堂新光社)に、樹種ごとの特徴や管理上の注意のほか、問題点としてつきやすい害虫などの例示があり。
『原色樹木病害虫図鑑』(保育社)には害虫それぞれの与える被害や生態・防除方法などがあり。
『樹種別 診断と防除 花木・庭木・家庭果樹の病気と害虫』(誠文堂新光社)にも、樹種ごとにつきやすい害虫と防除法があり。
これらをごらんいただいた。
参考資料:『樹木医が教える緑化樹木事典』矢口 行雄/監修(誠文堂新光社),
参考資料:『原色樹木病害虫図鑑』奥野 孝夫/共著(保育社),
参考資料:『花木・庭木・家庭果樹の病気と害虫』藤原 二男/著(誠文堂新光社),
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羽根のない扇風機のしくみについて書かれた小学生向けの本はあるか。(豊中市立図書館)
『こども大百科大図解クイズブック』などに、羽根のない扇風機のしくみの解説があり。
回答プロセス:児童書の、請求記号50*(工業)の書架にあった「モノのしくみ」に関する図鑑などを調べるが、扇風機のしくみが載っている本は発見できず。
所蔵資料をキーワード「扇風機」または「しくみ」で検索し、内容を確認したところ、『こども大百科大図解クイズブック』(小学館)p12-13に、羽根のない扇風機のしくみの図解があり。
なお、『雑誌解体新書編集部 モノのしくみ技術のふしぎ編 3』(日刊工業新聞社)p62-63「扇風機の羽根にはナゼ、ひねりがつけられている?」には、普通の扇風機の羽根のかたちについての大人向けの解説があったが、今回はご案内しなかった。
このほか、インターネット上には下記の情報があり。
「東京農工大学科学なんでも相談室 羽根のない扇風機は、どのような仕組みで風が起きるのですか。普通の扇風機の風と違いがあるのでしょうか。」http://www2.science.med.tuat.ac.jp/home/questions/answers/no4
「TDK株式会社 テクマグ 第153回 扇風機とはここが違う! 〜サーキュレータを使って暖房費を節約〜」http://www.tdk.co.jp/techmag/knowledge/201011u/ (普通の扇風機とサーキュレーターの風の違いについて)
後日、朝日新聞2014.7.26be(土曜版)に「(ののちゃんのDO科学)羽根のない扇風機の仕組みは?」の記事が掲載された。羽根のない扇風機のしくみの図解があるほか、ドライヤーや普通の扇風機と同様にモーターで羽根車を回して風を作っているなどの記載があり。
参考資料:『こども大百科大図解クイズブック』(小学館),
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梨木香歩著『村田エフェンディ滞土録』という小説のなかで、「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもない」というテレンティウスの言葉をセネカが引用したとあるが、どこに引用されたのかを知りたい。(豊中市立図書館)
ルキリウスに宛てた手紙の体裁で書かれたセネカの文章(書簡95)に引用されていた。
『セネカ哲学全集』6(岩波書店)所収の「倫理書簡集」Ⅱには「私は人間だ、人間に関わることで私に無縁だと思うことは何もない。」(p189,大芝芳弘訳,テレンティウス『自虐者』からの引用との注あり)と訳されている。
『道徳書簡集 倫理の手紙集』全(東海大学出版会)には「わたしは人間だ。人間的でないものは何一つわたしには無縁だと考える。」(p484,茂手木元蔵訳,テレンティウス『己れを責める者』からの引用と訳注にあり)と翻訳されている。
また中野孝次『セネカ現代人への手紙』(岩波書店)にも訳出されている。(テレンティウスとの関連について説明なし)
回答プロセス:館内にあった名言集や引用句辞典には見あたらなかった。
『世界大百科事典』(2011年刷発行,平凡社)で「テレンティウス」の項を引くと、セネカの引用した言葉が「自虐者」という作品で使われ、「homo sum.humani nihil a me alienum puto.」と綴られることが分かった。
googleブックスで、「Homo sum. Humani nihil a me alienum puto.」と「Seneca」をキーワードにして検索したところ、下記の一文が見つかった。
Seneca's letters to Lucilius quote two passages only of Republican drama, one an ^oc, trrep6ev from a tragedy by Naevius,224 the other Terence's homo sum: humani nil a me alienum puto.
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(1994年刷発行,小学館)によると、Terenceはローマの喜劇作家テレンティウスとある。
そこでテレンティウスのLucilius宛の書簡集にあたる『セネカ哲学全集』6(人名索引付,岩波書店)と『道徳書簡集』(東海大学出版会)を取寄せて、内容を確認した。
(『ブリタニカ国際大百科事典』によりLucilius宛の書簡集として『道徳的書簡集』があることが分かり、セネカの著書から上記2書誌を推定した。なお『ルキリウスへの手紙』(近代文芸社)は未確認)
参考資料:『セネカ現代人への手紙』中野 孝次/著(岩波書店), (p250)
備考:中野孝次『セネカ現代人への手紙』(岩波書店)p250
「我は人間なれば、人間に関わることにおいて何一つ我に無縁なるものなし。」として訳出してある。テレンティウスへの言及はない。
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医療、特に治験に関する資格であるCRCについてわかる本はあるか。言葉の意味や資格の取り方、資格を取るために必要な知識について調べたい。(豊中市立図書館)
『絶対に役立つ!ナースのための最強の資格85』などに、CRCについての記載があり。
回答プロセス:医療(49)の書架を探す。
『早引き 看護・医学略語辞典 第2版』(ナツメ社)p72に「CRC」の項目があり。clinical reserch coordinatorの略で、治験コーディネーターのこととあり。臨床試験において治験責任医師の指導・監督下で専門的立場から業務に協力する専任スタッフで、日本では1997年に認定されたとのこと。
医学関連の所蔵資料を「CRC」で検索すると、少し古い資料だが、『臨床で役立つ治験のいろは』(メディカ出版)がヒット。CRCや治験についての解説があるようなので、取り寄せてご提供する。
また『絶対に役立つ!ナースのための最強の資格85 2012-2013』(エクスナレッジ)p84にも、CRCの資格の取り方について記載があり。こちらでは日本語訳が「臨床研究コーディネーター」となっている。合わせてごらんいただいた。
加えて、大阪府立図書館に『CRCテキストブック 第3版』(医学書院)の所蔵があり、CRC養成のためのテキストであると判明したため、こちらも取り寄せてご提供した。
参考資料:『早引き看護・医学略語辞典』唐澤 由美子/監修(ナツメ社),
参考資料:『臨床で役立つ治験のいろは』石橋 寿子/著(メディカ出版),
参考資料:『絶対に役立つ!ナースのための最強の資格85 2012-2013』(エクスナレッジ),
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昭和45年(1970年)頃の千里中央周辺の人口がわかる資料はないか。(豊中市立図書館)
『豊中市統計書』昭和46年版をご覧いただいた。
回答プロセス:吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議が公表している(当市ホームページでも閲覧可)「千里ニュータウンの資料集(人口推移等)」(平成25年10月版)によると、吹田市域については昭和45年から国勢調査をもとにした人口の推移が掲載されているが、豊中市に関しては昭和50年からの情報になっていた。(千里中央駅の所在する新千里北町はじめ、東、西、南町の人口およびその合計が、0-14歳、15-64歳、65歳以上の階級ごとに表)
そこで当市の基幹統計である『豊中市統計書』をあたることにした。情報元は昭和45年実施の国勢調査データ。(西丘、北丘、東丘、南丘の各小学校区ごとの人口とその合計が、14歳以下、29歳までは5年刻み、30代から60代までは10年刻み、70歳以上の階級ごとに表)
参考資料:『豊中市統計書 第10回 (昭和46年版)』豊中市企画部企画課/編集(豊中市役所),
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大江健三郎の作品にでてくる内ノ子騒動・大瀬(奥福)騒動について書いてある本を見たい。大洲藩(現在の愛媛県)で起こった騒動であるとのこと。(豊中市立図書館)
愛媛県の歴史に関する本を調べたところ、当館所蔵資料では下記の本に載っていた。
【内ノ子騒動】
『愛媛県の歴史 田中 歳雄/著 山川出版社』 (当館請求記号:218.3/タ/) 137-138p
『愛媛県の歴史 内田 九州男/著 山川出版社』 (当館請求記号:218.3/エ/) 218p
『新編物語藩史 第10巻 新人物往来社』 (当館請求記号:210.5/コ/10) 278p
『人づくり風土記 38 農山漁村文化協会』 (当館請求記号:210/カ/38) 49p
【大瀬(奥福)騒動】
『新編物語藩史 第10巻 新人物往来社』 (当館請求記号:210.5/コ/10) 280p
参考資料:『愛媛県の歴史』田中 歳雄/著(山川出版社), (137-138p)
参考資料:『愛媛県の歴史』内田 九州男/著(山川出版社), (218p)
参考資料:『新編物語藩史 第10巻』(新人物往来社), (278p、280p)
参考資料:『人づくり風土記 38』(農山漁村文化協会), (49p)
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子どもが多巣性運動ニューロパチーという病気にかかった。この病気について書かれた本はあるか。(豊中市立図書館)
『今日の治療指針 2012』(医学書院、2012)p800-801に「多巣性運動ニューロパチー」の項目あり。病態と診断・治療方針・初期治療についての医学的な解説が載っている。『南山堂医学大辞典』(南山堂、2006)にも十数行の記述あり。
インターネット上の情報では、難病情報センターのサイトの「病気の解説(一般利用者向け) 多巣性運動ニューロパチー)」のページhttp://www.nanbyou.or.jp/entry/143にわかりやすい説明があり。
回答プロセス:多巣性運動ニューロパチーは、別名をルイス・サムナー症候群または多発限局性・運動性末梢神経炎ともいう、末梢神経の病気である。
『標準治療』(当館資料番号206270696ほか)には、多発ニューロパチーやギラン・バレー症候群の記述あり。
参考資料:『南山堂医学大辞典』(南山堂),
参考資料:『今日の治療指針 2012』山口 徹/総編集(医学書院),
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豊中市中部に城山町という地名があるが、ここにお城があったのかどうかわかる本はあるか。(豊中市立図書館)
城があったとの伝承はあるが、詳細は不明。下記の資料を見ていただいた。
『住居表示概要』(豊中市市民部住居表示課)p20「町名の由来について」には、城山町は旧小字を町名としたとあり。
『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名1』(平凡社)p271「福井村」には、今の豊中市城山町1~2丁目・長興寺南2~3丁目・曽根東町6丁目・服部本町4丁目付近にあった村について記載があり。これによると村の中に福井城跡と伝わっているところがあったとのことだが、詳細は不明と記載があり。
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店)p1065「福井 ふくい 豊中市」には、地内に戦国期の福井城址があったが遺構は残存しないとの記載があり。
『大阪府誌 第五編 名勝旧跡』(思文閣)p443「福井城祉」には、中豊島村大字福井の中央にあって俗に城山と呼ばれる丘があったが、遺跡は認めがたく年代や城主は不明、という内容の記載があり。
『日本城郭大系 12 大阪・兵庫』(新人物往来社)p228「福井城」には、藤井寺の北側一帯の丘陵地を城山というが以降は残存せず、「摂津志」では天正6年の織田信長による荒木村重討伐と関わらせているが不詳、との記載があり。
なお『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p45「藤井寺(とうせいじ)」によると、同寺はもともと曽根崎お初天神東隣の医師藤井氏の屋敷地にあったが、昭和4(1929)年に現在地に移転してきたとのこと。
回答プロセス:郷土資料の書架、地名関連の書架などを探す。
なお『日本城郭大系 12 大阪・兵庫』(新人物往来社)p76-78には「福井城」の項目があるが、茨木市福井にあった城のことで、豊中市域の城ではなかった。
参考資料:『住居表示概要』豊中市土木部管理課/[編集](豊中市土木部管理課),
参考資料:『日本歴史地名大系28‐[1]』(平凡社),
参考資料:『角川日本地名大辞典 27』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編(角川書店),
参考資料:『大阪府誌 第5編』大阪府/編纂(思文閣),
参考資料:『日本城郭大系 12』(新人物往来社),
参考資料:『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課),
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梅棹忠夫の著作について調べている。「共産主義・社会主義」「思想」「イデオロギー」「正義」のそれぞれについて論じた文章があれば知りたい。(豊中市立図書館)
『梅棹忠夫著作集 別巻 年譜 総索引』(中央公論社)を調べたところ、下記の著作があり、ごらんいただいた。
【共産主義・社会主義】
『梅棹忠夫著作集』第5巻所収の「文明の生態史観」の中の「第二地域の社会主義」(p86)
『梅棹忠夫著作集』第13巻所収の「国際紛争の理解のために」の中の「紛争解決の原理」(p381)
【思想】
『梅棹忠夫著作集』第12巻所収の「アマチュア思想家宣言」(p263)
【イデオロギー】
『梅棹忠夫著作集』第13巻所収の「国際紛争の理解のために」の中の「紛争解決の原理」(p381)および「もう一枚の文化地図がみえる」の中の「民族国家の増大は世界の趨勢」(p427)
なお、正義について論じた文章は発見できなかった。
参考資料:『梅棹忠夫著作集 別巻』梅棹 忠夫/著(中央公論社),
参考資料:『梅棹忠夫著作集 第13巻』梅棹 忠夫/著(中央公論社),
参考資料:『梅棹忠夫著作集 第5巻』梅棹 忠夫/著(中央公論社),
参考資料:『梅棹忠夫著作集 第12巻』梅棹 忠夫/著(中央公論社),
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19世紀半ばにイギリス海軍が用いていた、アームストロング砲という大砲の写真と性能表が載った資料はあるか。(豊中市立図書館)
英国海軍が使っていたものそのものではないが、『決定版図説幕末戊辰西南戦争』(豊中市未所蔵)『世界銃砲史 下』などにアームストロング砲の写真があり。また『武器と防具 幕末篇』にアームストロング砲の性能があり。
回答プロセス:『ブリタニカ国際大百科事典1 ア-カト』(TBSブリタニカ)で「アームストロング砲」を調べる。p192にあり。イギリスのW.アームストロングにより1859年に発明され、火砲を革新。薩英戦争の際、初めて実戦に使われたとのこと。「兵器」をも見よとあり、『ブリタニカ国際大百科事典17 ヒラ-ペタ』を見ると、p835に火砲の歴史があり。なお、大砲という名称は「大筒(おおづつ)」に由来しており、現在は軍事用語としては用いられないとのこと。アームストロングの発明についてはp837に記載があるが、写真や詳しい性能はなし。またp848-849の間に火砲の写真が挿入されているが、アームストロング砲の写真はない。
所蔵資料を「火砲」「大砲」「銃砲」などで検索し、アームストロング砲の載っていそうな資料を取り寄せて内容を確認。『世界銃砲史 下』(国書刊行会)p524にアームストロング砲の写真があり。なおp550・p712などに薩英戦争におけるアームストロング砲の動き等があるが、性能表は載っていない。
さらに薩英戦争・幕末関連の資料を探すと、『武器と防具 幕末篇』(新紀元社)p93に「アームストロング後装砲」の項があり。イラストがあるが、写真はなし。戊辰戦争で使われた6ポンド後装砲の性能があり。口径2.5インチ、砲身長153cm、全備重量250kg、最大射程3,600m。
大阪府立図書館の武器・兵器関連の蔵書を調べ、取り寄せて内容を確認するが、アームストロング砲の写真や性能が載った資料は発見できず。
さらに吹田市立図書館より『決定版 図説幕末戊辰西南戦争』(学研)を取り寄せて内容を確認したところ、p28「大砲」の項に複製のアームストロング砲(9ポンド砲)のカラー写真があり。なおp26の維新期大砲発達史によると、1859年からイギリス軍に採用されたのは砲弾重量12ポンドのもので、これより大きいものであるとのこと。
事前調査事項:アームストロング砲は3000mの射程があった。
参考資料:『ブリタニカ国際大百科事典 21』TBSブリタニカ/編(TBSブリタニカ),
参考資料:『ブリタニカ国際大百科事典 17』TBSブリタニカ/編(TBSブリタニカ),
参考資料:『世界銃砲史 下』岩堂 憲人/著(国書刊行会),
参考資料:『武器と防具 幕末編』幕末軍事史研究会/著(新紀元社),
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小学1年生むけに、大阪大空襲についての資料を借りたい(学校図書館より)(豊中市立図書館)
1年生にもわかりやすい読み物として、下記の本を提供。
『おれはなにわのライオンや』さねとうあきら、文渓堂
『おかあちゃんごめんね』早乙女勝元、日本図書センター
『むかし戦争がはじまった 一年生の絵日記』山下恵子、せせらぎ出版
『B29がせめてきた 三年生の絵日記』井戸本幸子、せせらぎ出版
『お母ちゃんお母ちゃーんむかえにきて 集団疎開の絵本』奥田継夫、小峰書店
また、参考資料として、下記の本も提供した。
『大阪大空襲の記録 母から子どもたちへ』大阪大空襲の体験を語る会編、三省堂
『絵本火垂るの墓』原作野坂昭如、新潮社(神戸空襲が題材)
『火垂るの墓 徳間アニメ絵本』野坂 昭如/原作、徳間書店(同上)
回答プロセス:市内全館の太平洋戦争関連の書架を調べ、内容を確認して提供。
後日、下記の本が出版された。
『いのち運んだナゾの地下鉄』野田道子、毎日新聞社
2014年8月現在、レファレンス協同データベースの関連事例には、大阪府立図書館の事例http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000152043 や石川県立図書館の事例http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000097045 があり。
参考資料:『おれはなにわのライオンや』さねとう あきら/文(文渓堂),
参考資料:『おかあちゃんごめんね』早乙女 勝元/作(日本図書センター),
参考資料:『むかし戦争がはじまった』山下 恵子/文・絵(せせらぎ出版),
参考資料:『B29がせめてきた』井戸本 幸子/文・絵(せせらぎ出版),
参考資料:『大阪大空襲の記録』大阪大空襲の体験を語る会/編(三省堂),
参考資料:『火垂るの墓』野坂 昭如/原作(徳間書店),
参考資料:『絵本火垂るの墓』田村 隆一/詩(新潮社),
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万博記念公園にある日本庭園の、1970年当時の写真が載っている本が見たい。(豊中市立図書館)
当館所蔵資料では、『EXPO'70 日本万国博開く』(毎日新聞社)および『万国博カラーガイド』(旺文社)に1970年当時の日本庭園の写真があり。
なお万博記念公園のサイトhttp://www.expo70.or.jp/facility/japanese-garden/ で現在の日本庭園に関する説明を見ることができる。(2014.8.14確認)
回答プロセス:千里図書館書庫にある日本万国博覧会関連の所蔵資料の内容を確認してお答えした。
参考資料:『EXPO'70』(毎日新聞社),
参考資料:『万国博カラーガイド』(旺文社),
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豊中市本町7丁目の稲荷山公園はかつて池だったと聞いたが、いつごろ公園になったかわかる本はあるか。(豊中市立図書館)
「豊中の公園緑地」(豊中市土木部公園緑地課)によると、稲荷山公園の開設は昭和47年3月31日。『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)に、昭和46年10月に建立された稲荷公園顕彰碑の碑文があり。
回答プロセス:郷土資料の書架を探す。
『聞き書き とよなかの史跡巡り』(瀧健三)p52「稲荷山公園の碑(豊中稲荷神社前)本町7-2」に、公園内の碑文をもとにした、池についての詳しい記載があり。参道をはさんで上宮池(かみみやいけ)・下宮池の二つの池があり、月夜でも日焼ける(水の利が悪くてちょっとお天気が続くともう作物ができなくなる)と言われた新免・轟木・山之上の三つの村の溜池として広く利用されていたが、大正の頃から水田が住宅地になりはじめたため、昭和11年に水利組合が解散し、池は稲荷神社に寄付された。その後、神社が池を市の公園として提供したとのこと。
『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p54-55「稲荷公園顕彰碑」にこの碑の碑文があり、昭和46年10月17日建立とある。
さらに『豊中の公園緑地』(豊中市土木部公園緑地課)を調べ、p37「近隣公園」に稲荷山公園の開設日があったためお伝えした。
なお『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p24「豊中稲荷神社」には、豊中稲荷神社の由緒として、摂関家の1つ近衛家が金寺に寺領を寄進するとともに鎮守として寺領地の守護・五穀豊穣のため稲荷神を勧請したことに始まると伝わっているとの記載があり。天正6(1578)年の兵火で金寺とともに焼失したが、慶安4(1651)年に新免・轟木両村の鎮守として再建されたとのこと。
参考資料:『とよなかの史跡巡り』瀧 健三/編集(瀧 健三),
参考資料:『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著(豊中市立教育研究所),
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図工の授業でお面をつくる参考にするために、世界の様々な仮面が載っている本を借りたい。写真が多く載っているものを希望。(豊中市立図書館)
所蔵資料を書名「仮面」または件名「仮面」で検索し、写真や図版が多く載っていた下記の本を提供した。
『仮面と祝祭 ヨーロッパの祭にみる死と再生』(三省堂)
『仮面の神々 朝日旅の百科 海外編 別冊2』(朝日新聞社)
『日本の仮面 神々の宴』(東海大学出版会)
『仮面でへんしん つくってみよう・やってみよう 6』(岩崎書店)
『神楽面の彫り方 入門から彩色まで』(日貿出版社)
『仮面 Masks of the world』(講談社)
『韓国の仮面 森田拾史郎写真集』(JICC出版局)
『日本の面』(毎日新聞社)
『民族の仮面 アフリカ、メラネシア、北米インディアン、エスキモー』(岩崎美術社)
なお後日、『お面』(文溪堂)が出版された。またレファレンス協同データベースでは、大阪府立中央図書館の事例http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000101434 にも類似の事例があり。
参考資料:『仮面と祝祭』谷口 幸男/著(三省堂),
参考資料:『朝日旅の百科 海外編 別冊[2]』(朝日新聞社),
参考資料:『日本の仮面』森田 拾史郎/写真(東海大学出版会),
参考資料:『つくってみよう・やってみよう 6』(岩崎書店),
参考資料:『神楽面の彫り方』中村 延寿/著(日貿出版社),
参考資料:『仮面』第一出版センター/編集(講談社),
参考資料:『韓国の仮面』森田 拾史郎/著(JICC出版局),
参考資料:『日本の面』田辺 三郎助/編著(毎日新聞社),
参考資料:『民族の仮面』桐島 敬子/編著(岩崎美術社),
参考資料:『お面』井上 重義/文(文溪堂),
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