1 正條植開始時期に関する資料
・「香川県農業史」(香川県農業史編纂委員会/編 香川県農業改良普及会 1977年発行)
123頁に、次のような記述がある。
「明治30年代に入って縦の列、横の列を揃える正条植が試みられるようになった。・・・・串田式正条田植器が
発明普及されるに及び県下の大部分はこの田植機に統一された。」
「木田郡三木町池戸の串田太市は小学校長を務めた人であったが、田植定規の改良に専念し、田植能率の高い
串田式正条田植器を発明し、明治39年に専売特許をとった。製作販売は三木町平井の細川喜惣次に委託し、
県内はもちろん他県にも宣伝に出かけた。」
「・・・かくして本県における稲の正条植は明治36年にはわずか13%であったものが、5年後の明治41年には
全面的に普及をみるに至った。」
691頁に、次のような記述がある
「県は明治38年(1905)より正条植の奨励を始め、翌年(明治39年)県令によって強力に指導を行い、
明治41年(1908)には乱雑植が完全に消滅し正条植となった。」
2 正條植に関する香川県の訓令
・訓令第14号(明治39年5月12日)「県下稲田ヲシテ悉ク正條植ヲ施行セシム」
(マイクロフィルム「香川県公文月報」にて確認)
3 串田式正条田植器の開発者串田太市について記述のある資料
・「讃岐人物風景 12(二十世紀の幕明け)」(四国新聞社/編 丸山学芸図書 1984年発行)
143頁に、串田太市に関する記述がある。
・「三木町史」(三木町史編集委員会/編 三木町 1965年発行)
423頁に次のような記述がある。
「元平井町長串田太市が、串田式正条田植機を発明したことにより・・・」
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