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柴胡について記述のある江戸時代の文献を探している。取引者・売りさばき者を知りたい。 できれば、この薬草の江戸時代国別取扱業者一覧(関東のみ)が見たい。  ※柴胡は、現在もある薬草。静岡の三島が発祥で「ミシマサイコ」ともいわれる。

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〈柴胡〉の江戸での取扱について記述のあった資料は、『江戸時代漢方薬の歴史』の「柴胡 一斤、江戸本町三丁目奈良屋市兵衛方に船積仕候」と『東京市史稿 産業篇 19』の「品目 柴胡、数量 一斤、出荷人 大阪道修町二丁目河内屋清兵衛、荷受人 江戸本町三丁目喜多村久右衛門」の2件のみ(唐薬)であった。いずれも、道修町文書「江戸下シ海陸荷物書上一件」に記載があった。  江戸においては、薬種の取引ができる業者が限られていたようで、〈柴胡〉を取扱っていたかは不明であるが、複数の資料で、江戸の薬種問屋の一覧を見ることができる。 〈柴胡〉の取扱いについて記述のあった資料 『江戸時代漢方薬の歴史』(羽生和子著 精文堂 2010)  巻末索引に〈柴胡〉の項あり。  p54-55「「江戸下シ海陸荷物書上一件」(大阪道修町文書「江戸売買」収録)には、大阪より江戸へ送られた唐薬情報が知られる。大坂方の荷だし人名、江戸の荷受人、薬種名、数量,日付、運送方法が記されている。」とあり。」この中で数量の多いものに、紫胡の名あり。  p100に「道修町(大阪)の薬種問屋は薬の原料となる薬種を商っていた。長崎で輸入された唐薬種も大阪に運ばれ、重量を調べ品質を鑑別し価格を決定して諸国に販売していた。(略)安永8年(1779)からは全ての唐薬種は大阪を通じて扱うことが法制化されたのである。」とあり。  p115-「江戸時代における輸入唐薬の品名・数量について」の項に、薬種の流通について「特に江戸は大消費地であり大阪から送られた薬種を扱う大問屋が本町三丁目を中心に存在し、ここから更に関東、奥州の地方薬種問屋へ二次的に供給された。」とあり。  p116-「唐薬輸入と流通」の節に、「江戸下シ海陸荷物書上一件」から荷受人(道修町の取引先である江戸の薬種問屋)の一覧あり。  p207-「江戸下シ海陸荷物書上一件」(壱番)(弐番)の収録あり。※この文書は「大阪薬種業誌」に所収。県内未所蔵。国会図、都立図、大阪府立ほか所蔵あり。  p214に「柴胡 一斤」を「江戸本町三丁目奈良屋市兵衛方に船積仕候」の記載あり。 『東京市史稿 産業篇 19』(東京都編 東京都 1975)  p419-「宝暦六子年十月二十五日より江戸下し海陸荷物書上一件」に、「江戸本町組薬種問屋と唐和薬類の取引を為して居たる大阪方の薬種問屋は十軒で(略)海運に依る分を抜粋して左に掲ぐ。」とあり。宝暦六年十一月二十一日の項に、「品目 柴胡」「数量 一斤」「出荷人 大阪道修町二丁目河内屋清兵衛」「荷受人 江戸本町三丁目喜多村久右衛門」の記載あり。  p434-「此月(宝暦6年11月/1756年)本町薬種問屋組合、薬種販売ニ関シ誓詞連名ス。」として、江戸本町の薬種問屋の連名あり。※出典は「東京薬種貿易商同業組合沿革史」 県内未所蔵。国会図、都立図、神奈川県立図所蔵あり。  『東京市史稿 産業篇 13』(東京都編 東京都 1975)  p184「江戸大伝馬町組薬種屋拾九人」の所在地と名前あり。  p480「唐和薬指定問屋外直引受禁止」あり。享保15年に「本町三丁目組廿五人、大伝馬町組十九人以外行フベカラズ」と再令したもの。

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