明治から昭和にかけての詩人、随筆家。 浅口郡連島村(現倉敷市)生まれ。 詩集「二十五絃」「白羊宮」で、上田敏らの絶賛をうけ、島崎藤村につづく時代の先駆的詩人として認められた。 また、大阪毎日新聞社に入社後、紙面に随筆を書く一方で、学芸部長として、菊池寛、芥川龍之介を起用し、新聞連載小説に新鮮な局面をひらいた。 記念碑が出生地の連島と津山市長法寺(代表詩「公孫樹下に立ちて」はこの寺の大イチョウを歌ったもの)にある。 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「薄田泣菫」(角川書店、昭32) 「薄田泣菫考」(教育センター、昭52) 「公孫樹下にたちて」(永田書房、昭56) 「泣菫全集」全8巻(創元社、昭59) 「泣菫詩集」(大阪毎日新聞社、大14) 「泣菫文集」(大阪毎日新聞社、大15) 「茶話」(大阪毎日新聞社、大13) 「二十五絃」(春陽堂、明38) 「ゆく春」(金尾文淵堂書店、明34) 「落葉」(獅子吼書房、明41) 「樹下石上」(創元社、昭6) 「草木虫魚」(創元社、昭4) 「大地讃頌」(創元社、昭4) 「独楽園」(創元社、昭9) 「猫の微笑」(創元社、昭2) 「人と鳥虫」(桜井書店、昭18) 「泣菫随筆」富山房百科文庫43(谷沢永一編、富山房、平5)
参考資料:「薄田泣菫」(角川書店,昭和32年)
「薄田泣菫考」(教育センター,昭和52年)
「公孫樹下にたちて」(永田書房,昭和56年)
「泣菫全集」全8巻(創元社,昭和59年)
「泣菫詩集」(大阪毎日新聞社,大正14年)
「泣菫文集」(大阪毎日新聞社,大正15年)
「茶話」(大阪毎日新聞社,大正13年)
「二十五絃」(春陽堂,明治38年)
「ゆく春」(金尾文淵堂書店,明治34年)
「落葉」(獅子吼書房,明治41年)
「樹下石上」(創元社,昭和6年)
「草木虫魚」(創元社,昭和4年)
「大地讃頌」(創元社,昭和4年)
「独楽園」(創元社,昭和9年)
「猫の微笑」(創元社,昭和2年)
「人と鳥虫」(桜井書店,昭和18年)
谷沢永一編「泣菫随筆」富山房百科文庫43(富山房,平成5年),
備考:M2004103009261743299
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