明治四年(1871)五月十日『新貨条(條)例』の公布により、「円」が始まった。
「円」が登場する際の歴史的資料は、二度の火事により大部分が焼失しているため、不明な部分が多く、「円」がいつ・誰によって生まれたかについては、諸説がある。現存する歴史的資料としては、明治二年(1869)七月七日付外交文書と、明治二年三月四日の上局議事院の貨幣会議の議事録の2つが資料としてあげられている。
以下の資料を紹介した。
『円 その履歴と日本経済 岩波新書』(鈴木武雄著 岩波書店 1963)
p31「“円”の誕生」の節あり。海外に比べて、国内の銀貨幣が金貨幣に対して割高であるなど、安政条約の不平等性などにより、大判・小判の金貨の流出した結果、旧幣制が崩壊したとの記述あり。また、「貨幣混乱、経済疲弊のうちに、明治維新となったが、新政府は、近代的統一国家を建設するためには、まず貨幣を確立することが必要であると考え(略)まず造幣官署を設けて純正画一な貨幣を製造することを決意した。」との記述あり。
『¥の歴史学』(三上隆三著 東京経済新報社 2001)
p30「円はどのように生まれたか」の節に、「江戸時代の両に代わって、法律にもとづいてとでもいうか、正式に登場したのは、明治四年(1871)五月十日のことである。つまり、この日に公布された日本における近代貨幣法の第一号にあたる『新貨条(條)例』によってであった。」とあり。
p37「円はいつ、どこで生まれたか」の節に、「つまり円が誰によって(=命名者)何日(=誕生日)どこで(=誕生地)なにゆえに(=理由)両にかわるものとして新貨幣名に採用されたかについては、まことに残念ながら皆目わからないのである。」とあり、関係資料がほとんどないとし、現存するものとしては、明治二年(1869)七月七日付外交文書と、明治二年三月四日の上局議事院の貨幣会議の議事録を紹介している。貨幣会議では、「造幣判事・久世治作とともに参与・大隈八太郎(後の重信)は「新貨ノ形状及ヒ価名改正」案」を提出した旨の記述あり。
p45「なぜ「円」と名づけられたのか」の節に、諸説の記載あり。
『円の百年』(刀禰館正久著 朝日新聞社 1986)
p3〈両から円へ〉の項に、「わが国の貨幣の称呼と価格計算の基本単位名が法令上「円」に正式に決められたのは、明治四年(1871)五月十日に公布された新貨条例だ。」とあり、条文の記載あり。ただし、「しかし「円」という呼称が、いつ、どのような理由で決まったかについてははっきりした記録がなく、研究者の間にも今のところ定説はない。」との記述あり。円についての歴史的事実として、明治二年三月四日の「京都の議事院で開かれた貨幣についての会議」と明治二年七月七日付「新しい貨幣を各国公使に告げた書状」の記述あり。資料がない理由については、p4に明治五年二月の江戸城内紙幣寮と明治六年五月の太政官衙の火災があげられている。
p11〈「円」についての諸説〉の項に、円の呼称の諸説について記述あり。
『円の社会史 貨幣が語る近代 中公新書』(三上隆三著 中央公論社 1989)
p13「円をめぐる三W」に、「円の採用決定については、「誰が」「いつ」「どこで」(中略)のいずれもが、いまもって不明・不詳のままなのである」と記述あり。
p19-21〈二つの事実〉の項に、「明治二年三月四日、京都で開催された議事院上局会議において、貨幣をめぐる質疑応答のあったことである。(中略)参与として出席を許された大隈重信と彼に従う久世喜弘とが「新貨ノ形状及ヒ価名改正」案を提出し、それを承認させることに成功した。」とあり。また、前出の明治二年七月七日付の各国公使にあてた公文書についても記載あり。
『円の誕生 近代貨幣制度の成立』(三上隆三著 東洋経済新報社 1977)
p155-167「円の由来」の章あり。
『「円」の誕生 日本二千年の貨幣史にみるおかねの役割と日本人の金銭感覚』(坂本藤良著 PHP研究所 1984)
p97「円の誕生」の章あり。
回答プロセス:参考図書を見る
『世界大百科事典 2005年改訂版 3』(平凡社 2005)
p691-692〈円〉「1871年(明治4)制定の〈新貨条例〉によって採用された。」とあり。
『国史大辞典 2』(吉川弘文館 1980)
p379-380〈円〉の項あり。参考文献なし。
『ビジュアル・ワイド 明治時代館』(佐々木隆〔著〕 木下直之〔著〕 小学館 2005)
p100「政府は、正確な品質の統一的貨幣を新鋳することを決定し、明治4年5月、新貨条例を公布、『円』が正式に日本の貨幣単位となった。」
自館目録をNDC分類〈337.21〉で検索してヒットしたものを確認する。
『貨幣の語る日本の歴史 そしえて文庫6』(山口和雄著 そしえて 1979)
p155-184「6 近代貨幣の導入」
弊制改革前には多くの通貨が流通し複雑であったことや、弊制改革の内容についても記述あり。
また、新貨条例で金本位制を採用したのは大蔵少輔伊藤博文の強い建策によることがわかる。
『「円」の誕生』(回答資料)
『円 その履歴と日本経済 岩波新書』(回答資料)
『円の社会史 貨幣が語る近代 中公新書』(回答資料)
『¥の歴史学』(回答資料)
『円の百年』(朝日新聞社 1986)(回答資料)
『日本人の歴史 3 お金と日本人』(樋口清之著 講談社 1979)記述なし。
NDC分類〈21〉の参考図書の書架を見る
『史料明治百年』(朝日新聞社 1966)
p80-81 明治4年(1871)
「このほか弊制改革のために造幣寮を新設して西洋式の円形の新貨幣の鋳造を行ない…」とある。
「5.10 新貨条例公布」この前後にも関連記述あり。
日本銀行発行の雑誌を調査
雑誌『にちぎん』2009年秋(no.19)(514710557)
p24-27「円の誕生」経緯に関する記述あり(主に通貨の鋳造に関する記述)
参考資料:『円 その履歴と日本経済 岩波新書』(鈴木武雄著 岩波書店 1963),
参考資料:『¥の歴史学』(三上隆三著 東京経済新報社 2001),
参考資料:『円の百年』(刀禰館正久著 朝日新聞社 1986),
参考資料:『円の社会史 貨幣が語る近代 中公新書』(三上隆三著 中央公論社 1989),
参考資料:『円の誕生 近代貨幣制度の成立』(三上隆三著 東洋経済新報社 1977),
参考資料:『「円」の誕生 日本二千年の貨幣史にみるおかねの役割と日本人の金銭感覚』(坂本藤良著 PHP研究所 1984),
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