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埼玉県川越市にあった「利根川塾」について資料を探している。(埼玉県立久喜図書館)

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利根川塾について記述があった下記の資料を紹介した。 利根川塾についての資料 『埼玉県教育史 3』(埼玉県教育委員会 1970) p429-438 「二、私塾・家塾・変則中学 1.私塾・家塾」 「これら私塾・家塾の状況については、資料が少ないためその実態を十分に明らかにすることはできない。後掲の私塾・家塾一覧表によって 概観すれば次のとおりである。」とあり p435 「学制期・教育令期の私塾・家塾一覧表」に利根川塾あり  「所在地:川越市元町、 名称:利根川塾、塾主名:利根川尚方、利根川丈雄、没年:明治29、昭和5、行年:80、73、開業期:幕末、閉業記:昭和3、教科目:漢学、塾生数:約80、備考:父子継承、通年制、特に農閑期に多い、総門弟数約千、金石文其他」 『川越市史 3 近世編』(川越市 1983) p487 「川越市内寺子屋一覧」 利根川尚方の名前あるが、名称の部分は空白になっている。 「ところで、寺子屋に関する資料は極めて少ないが、その所在については、寺子屋師匠の墓石や記念碑を見つけることにより、確実に知ることができる」とあり。 p512「川越における私塾がどのような状態であったか、資料に乏しくその実態を把握できないが、ここでは『埼玉県教育史』で把握した漢学塾・ 算学塾・武道塾、および今回の調査で得られたいくつかの塾などについて記述することにとどまる。(以下略)」とあり。  〈表5〉「川越の私塾一覧」に利根川尚方の塾あり。  「所在地:川越市本町、氏名:利根川尚方、学統:漢学、身分:医者3、没年:明治29、行年:80、開廃業:幕末・明治、備考:資済、蘇水」 『川越藩政と文教 川越叢書 10』(国書刊行会 1982) p98 「また医家で私塾を開きし学者に利根川尚方がある。漢詩に長じ蘇水と号した。(以下略)」 塾主の利根川尚方についての資料 《埼玉人物文献索引》を〈利根川尚方〉で検索し、下記の資料を調査。 『埼玉県教育史金石文集 下』(埼玉県教育委員会 1968) p209 「458 利根川蘇水の墓碑」 蘇水の異称に「尚方(号)」とあり。 『埼玉人物事典』(埼玉県 1998) p559「とねがわ ひさかた 利根川 尚方」 「江戸時代後期・明治時代の医者・国漢学者。(中略)幕末から明治にかけて、川越本町に漢学塾兼寺子屋を開き、多くの子弟を教育した。(以下 略)」とあり。 『新編埼玉県史 資料編12 近世3 文化』(埼玉県 1982) p9「利根川尚方(1817-85?)漢学・国学・医、川越「原玉鉾論」」 p76「井上淑蔭家」解説 「利根川政之は川越の医利根川尚方(1817-85)かと思われるが、未だ十分に断定できない。(以下略)」とあり。 p912利根川政之から井上淑蔭宛の書簡が掲載されている。 インターネットの調査 《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》を〈利根川尚方〉で検索すると下記の文書がある。 1 井上家104 医術間話(浄書本、序「医術閑話」) 明治 9. 3.上浣 1876 権大講  藤原淑蔭自筆、利根川尚方序  竪帳 古文書 2 井上家672 愛国小論(出板願書添)   利根川尚方自筆(カ)  竪帳 古文書 3 井上家文書2529 一絃考叙(木版)   川越 利根川尚方  平安 奎文館 1丁  古文書 4 井上家文書3642 原玉鉾論・意馬粛覇(版本、合冊) 明治19.2. 1886 川越 利  川尚方著、井上淑蔭序、利根川塾 竪帳 (http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/s28/ 埼玉県立文書館 2012/09/26最終確認) 《Google》《Googlebooks》を〈利根川尚方〉〈利根川塾〉で検索した結果、「福沢桃介」「竹谷兼吉」が利根川塾に通っていたことがわかり、下記の資料を調査した。 福沢桃介 『川越大事典』(川越大事典編纂会編纂 国書刊行会 1988) p295「福沢桃介」 「本町の儒者利根川尚方から和漢の学を受けている。」 『新人国記名士の少年時代 関東篇』(報知新聞通信部編 平凡社 1930) p331-342「福沢桃介」 p335「川越本町の漢法医の利根川尚方といふのが、漢学の塾を開いていたので、そこにも通はした。」 『激流の人 電力王福沢桃介の生涯』(矢田弥八著 光風社 1968) p25「桃介は小学生の時、利根川尚方という人の所へ漢学を習いに通っていた。」 『川越の人物誌 2』(川越市教育委員会 1986) p127-129「福沢百介」 『福沢桃介の人間学』(福沢桃介著 五月書房 1984)  p47「川越本町に利根川尚方という漢学先生があってその塾に入って漢字の稽古をした。」 竹谷兼吉 『川越の人物誌 1』(川越市教育委員会 1983) p97-99「竹谷兼吉」 p97「十三歳のとき川越町の利根川塾に入門して読み書きなど基礎教育をうけた。」 事前調査事項:「富岡村昭和医療記」「埼玉県教育史 1」「川越市史 1」「川越市史 5」「川越市史 資料編」「川越市史 民俗編」「川越市史研究 2」「川越市史研究 3」「川越市史研究 4」「川越 城と町まちの歴史」「川越大事典」 参考資料:『埼玉県教育史 3』(埼玉県教育委員会 1970), 参考資料:『川越市史 3 近世編』(川越市 1983), 参考資料:『川越藩政と文教 川越叢書 10』(国書刊行会 1982), 参考資料:『埼玉県教育史金石文集 下』(埼玉県教育委員会 1968), 参考資料:『埼玉人物事典』(埼玉県 1998), 参考資料:『新編埼玉県史 資料編12 近世3文化』(埼玉県 1982), 参考資料:『川越大事典』(川越大事典編纂会編纂 国書刊行会 1988), 参考資料:『新人国記名士の少年時代 関東篇』(報知新聞通信部編 平凡社 1930), 参考資料:『激流の人 電力王福沢桃介の生涯』(矢田弥八著 光風社 1968), 参考資料:『川越の人物誌 2』(川越市教育委員会 1986), 参考資料:『福沢桃介の人間学』(福沢桃介著 五月書房 1984), 参考資料:『川越の人物誌 1』(川越市教育委員会 1983),

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