『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「いいだ・とうすい」で、略歴は「1907・8・12~。歌人。栗太郡葉山村(現栗東市)に生まれる。本名菅治郎。旧姓里内。膳所中学校時代から棹水の号で短歌を作る。神戸高等商業学校卒業。糸物商の飯田家の婿養子となり、継承した繊維会社の経営に永年勤しむ。1956年渡辺朝次に師事し本格的に作歌を始め、「覇王樹」に入社。準同人を経て60年同人となる。70年関西覇王樹社を結成、編集同人となる。74年大阪歌人クラブを結成、常任理事、事務局長を務めた。84年大阪府文化藝術功労者表彰を受賞。還暦を記念して出版した第1歌集『華』(67年)、古希記念の第2歌集『清泉』(78年)、第3歌集『和光』(90年)がある。また「月刊大阪身辺細貨商報」に小説「暖簾」(78年)を連載した。大津市の膳所公園と生家に近い栗東市の円徳寺に歌碑がある。(内田晶)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.18,
参考資料:
2 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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