『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「すがわ・のぶゆき」、略歴は「1839(天保10)・月日未詳~1919・月日未詳。医師、国学者、歌人。近江高島郡(現高島市)生まれ。本姓は清水。号は常葉園。医師の次男として生まれ、早くに京に上り、19歳の時に御所出入りの医師須川覚性の養子となる。和歌の道を志し、香川景樹の高弟である渡忠秋に入門。1881年渡の歿後は小出粲(つばら)に師事。1890年宮中歌会始で<いにしえに照らして今を仰ぐにも余るは国の光なりけり>が入選。晩年には、宮内省御歌所寄人となり、「明治天皇御集」の編纂委員を務める。1915年に従七位。19年に80歳で歿。(出原隆俊)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.172-173,
参考資料:
2 人物レファレンス事典 文芸篇 日外アソシエーツ株式会社∥編 日外アソシエーツ 2010年 R-9103-ニ,
参考資料:
3 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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