『滋賀近代文学事典』によりますと、読み方は「せがわ・きんいち」で、略歴は「1928・4・18~2004・11・21。俳人、小説家、郷土史家。蒲生郡鎌掛村(現日野町鎌掛)生まれ。俳号芹子。1945年戦時繰り上げ4年生で、水口中学校(旧制)卒業。3月満洲に渡り、46年8月に引き揚げ帰国し、農業に従事する。52年鎌掛村役場に就職。55年町村合併により、日野町役場職員となる。主として社会教育関連の仕事をする。81年日野町教育委員会教育長となる。82年教育長を辞し、県文化情報室「文化サロン」の初代室長、87年「湖国と文化」(滋賀県文化体育振興事業団発行)編集責任者、92年日野町町民会館「わたむきホール虹」館長。95年日野町立鎌掛公民館館長。2001年滋賀県文化功労賞を受賞する。俳誌「雪解」「銀杏」「懸巣」同人。文学同人誌「滋賀作家」編集長。(中略)『蒲生家盛衰録』上中下(上81年7月、中82年1月、下82年8月、石岡教文堂)、『ある被差別部落の五百年』(88年7月、滋賀県部落問題研究所)、『近江 石のほとけたち』(94年7月、かもがわ出版)(中略)など郷土史、民俗学、歴史学と多岐にわたる多数の著作がある。また青年演劇の演出、劇指導、脚本も手がけ、日野町や鎌掛の青年演劇で全国出場を果たしている。(後略)(北川秋雄)」とあります。
参考資料: 1 滋賀近代文学事典 日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会∥編 和泉書院 2008年 S-9000- 08 p.179-181,
参考資料:
2 滋賀県人物・人材情報リスト 2011 日外アソシエーツ∥編集 日外アソシエーツ 2011年 LB-2800-11,
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