明治6年9月15日、大分県北海部郡海添村(臼杵市海添)の下級士族に生まれた。明治12年臼杵学校、大分県尋常中学校(上野丘高校)、熊本第五高等学校、東京帝国大学(東京大学)国文科へ進んだ。明治30年東京府立第三中学校(両国高校)の教師として、第一歩を踏み出した。そして明治41年、東京音楽学校(東京芸大)の校長へ。そして、唱歌を新しくした「新作唱歌」全10集を発表。この中に「早春賦」「故郷を離るる歌」「この葉」など全74曲がある。文学者として著書も発表「学窓講話」「修養夜話し」「立志訓話」も書いている。大正5年早春43歳で急逝。(「臼杵人脈」より)
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